2007年12月16日日曜日

神戸大学

遠くまで来て時間使って話を聞いたら意見を言っておきたいので、意見を言っといた。

個々の発表は、それぞれ具体的な対象について話をしていたのは面白かった。ただ、自分の今年度の問題意識に引きずられつつ聞いていたので、それぞれが自分の研究(対象や営為)の成立の前提となる部分をどんな風に考えているのか、ってのが気になった(普通は気にしてないと思うけど)。

打ち上げで何人か増やした。関大6のために、もちょっといたらいいのかな?打ち上げ、後半は面白かったな。

前半:
自分はしっかり考えてたから売り物としてのドイツ語教師としての能力を自覚的に身につけたし、自分はドイツ文学なんてディシプリンを気にしたことなんてなくて自分自身のドイツ文学を打ち立てることにしてるよ、美学芸術学概論が分からないなんて君が何言ってるかさっぱり分からない、という60のおっさんの前に座ってたので話を合わせたのだけど、なんとうっとーしかったことか。なんやねん、お前は。お前の専門と学生の専門が違うように思えたって感想がプライドを傷つけたから、学問の正当性云々の話を始めたんだとすれば、なんて馬鹿馬鹿しいプライド維持のための暇つぶしごっこに付き合ってしまったんだろう。
ああいうのとは離れて座れる場所にいないといかん。それとも、ずっとああいうのと同じ場所で生きていかないといけないんだろうか。


今の修士の学生は僕の時の学部生程度の実力だから、たんにもうちょっと勉強したいって人だけが修士に来れば良いんであって云々とか言ってたから、つまり、今日の「研究発表会」は「かつての学部生の発表会」程度のものであって「"研究者"の卵の発表」ではなかったってことなんだろう。
それが正しかろうと間違っていようと、自分の小さなプライドが傷つけられたからといって、それを、今日発表した人間やそれを聴きに来た人間に臆面も無く言える程度の人間の職分を安定させるために自分の二十代は費やされたのかもしれないと考え出すと鬱陶しくてたまらない。それが正しいかどうかと、そのことをどのように誰に言うかというのは、単に別の話なので。
つうか、お前、D1で就職できてる年代の人間やんか。で、なんで2001年より後は何の業績もないねん。ああうっとーしー。


要約すると「おれはかしこい」って言ってたのか。なるほど。


ああいうのはけっこうどこにでもいるもんらしい。
現実を教えてあげたんだ、って威張ってたなあ…。分かりやすく「現実」認識を間違えてるし、その程度の現実認識を嬉々として語られてもなあ…。


ああいうのが「苦労話」をして悦に浸れるのは、「僕の時代は大変だったけど"今"はバイトしたら生きていける恵まれている時代だ」と考えているかららしい。間違えてるのだけど。そんで、お前は履歴書に現れる類の「苦労」はしてないやん、と思うけど。
何にしろ、自分の苦労自慢(と思い込んでるもの)を元に自分を正当化しつつ話をする人間は醜いなあ。
今の僕らの世代(いわゆる就職氷河期世代)はそうなる傾向が強いと思うので、自分はそうならないように気をつけねば!

0 件のコメント:

Flickr - slide - pon (最近の200枚)

macromill