2007年5月31日木曜日

恥の感覚は日本人特有云々という話をきいた記憶があるけど、正解なそーすは覚えてなくて、それが正しかろうと間違えていようと、恥の感覚にとらわれているその時はどうでもよかったりするので、情念にとらわれている時は、その情念の内実についてではなく、その情念が出現したメカニズムに考えを馳せる、という、柄谷こうじんのいってたようなことは、まずできん。柄谷こうじんがそれをどこで言ってたかも忘れた。
ということで、ワールド・ミュージックとJポップの回は、ひどかった。言説構造の提示、というのは、スライドですることじゃなく、この授業ですることじゃなく、なにより、僕がすることじゃないのかもしれん。具体例なしにざっと説明するってのも、無理。
授業終わりに学生たちにすごく謝りたくなったけど、本当に悪いと思ってもその問題に対策のたてようがある時は謝ってはいけないと思うので、これは後期にもするので、一から考え直すこと。ただ、教室からバスに乗るまで、ずっと顔押さえてた。つまり、情けなくなった。
このスペックのラップトップは、まともにisoファイルを再生してくれないので注意。来週返品や。
たくましくならざるをえん。でも、疲れた。

来週、京大は休講で立命は新しい楽器。えらい真面目に電子音響音楽に関するレポートを書こうとしてる人がいて、参考文献を欲しがったのだけど、驚くべきことに、電子音響音楽の概観をしてくれてる日本語の本は、ないのだ!驚くべきことに。英語なら何個かあるのだけど。
という、ちょっとした盲点。電子音響音楽に関する日本語文献のないまま、日本の電子音楽に関する分厚い本が出たというのが現状のはず。これ、僕が学部の頃からの、いわゆる学会の怠慢とやらのもののはず。

明後日京大で雑用。僕も逃げたい。へこまないようにせねば。

バス

がこねえ。なんでや?

今日初めて来週の京大は休講なことを知った。
ついでに立命も休講にならないもんだろうか。


結局、北野天満宮からタクシーに乗った。
まあ間に合った。

2007年5月30日水曜日

反省

さんげん休講の貼紙を見た学生は、当然よげんも休講と思ったのか、あるいは雨が降ってたからか、なんと四人しないなかったのであった。
なので、ラップトップに入ってた、日本のロック名鑑1を見て、メルツバウと、サウンドデモとやらをしてるらしいECD?とやらを見て、雑談して、終わった。普段テレビの歌番組しかみないのに、「現代音楽」の授業に出席するのはなぜだ?あんどーくんはユニコーンで止まってるらしい。
激しく反省。僕は、今日、ここに何しに来たんだろう?補講しねえぞ。あと、今日は帰りにパソコン買うのだ。


で、中古で、4年前のLet's note買った。
で、その軽さに感動しながら、うきうきしながら帰った。
で、セットアップをはじめて気づいたのだけど、タッチパッドが壊れてる。
初期不良だから明日連絡せねば。


色々なことを諦めた。

近大

よげんは間に合う。
さあ、僕は、なぜ遅刻したのだろう?

遅刻

やってしまった。
秘密の理由で、家を出たのが一時半。どうせ補講するんだったら、よげんも休講にしてもらったほうが賢いということに気付いたのは、よげんも遅刻することに気付いた阪急電車の中だった。
以後、このてのかっこつけは辞めること。
以後、起きたらその日のスケジュールを確認すること。

こんな風に人は物事を学んでいくのか?そうか?長瀬駅に着くまで時計を見ないこと。

Philip Brophy - "Epiphanies"

Philip Brophy. 2006. "Epiphanies," The Wire 273 (Nov. 2006): 106.
"truth honesty beauty nature vomit me"

Silence MLで幾つか議論されていたケージ「批判」の文章。これ自体は短文。
「Cage criticism」に関して、いくつかの文章があげられていて、ubu.comにpdfであるCardewの'Stockhausen
serves Imperialism'の中の'John Cage; Ghost or Monster?'へのリンクまで出てきていたけど、Feldmanのケージ「批判?」やカウエルのMusic for Change批判は出てこなかったし、あんまり実りあるスレッドじゃなかった覚えがある。Silence MLは、やっぱり基本的にはケージ信奉者のMLに過ぎないのかもしれない、と思った。

基本的に、「無響室」に基づく音響世界観の「ニュートラル」な性質の(批判というよりも)指摘。
「無響室」という「外側」の「文化的」な世界が排除された場所に基づいて構想される音響世界は、worldly soundsを排除するものだ、それはa-culturalismだ、ケージ、ケージに関する言説には戦後マス・カルチュアの音響文化の変容という自体が欠如している、といった指摘(批判)。
なので、基本的には、Dougの批判と同じ。そこでは音、音楽という概念が「純粋」なものとしてregisterされる云々。この手の見方はもうちょっとポピュラーなものとなって、ケージ信仰みたいなのはなくなって欲しい。

2007年5月29日火曜日

岩渕潤子『美術館の誕生 美は誰のものか』

wowow:美術館の誕生 美は誰のものか
岩渕潤子 1995 『美術館の誕生 美は誰のものか』  東京:中公新書。
市民の力で形成されてきたUKの美術館
私人の寄贈行為から出発した公共博物館という概念の出発としてのUSの美術館(publicは、国立とか公立ではなく、公民の、という意味)
万博と同時代的現象としての国威発揚型美術館
等々、美術館学(美術館史)の概要を知るには便利な新書。速読で読めるし。

ただ、「正当な「展示」」(187)といった言葉を無規定に使い過ぎている。ほとんどの情報ソースを示していないし。
明言されないことにイデオロギーは現れるものなので、この本と著者は、かなり多くの既成概念と既存のオーソリティに寄りかかる権威主義的な視線を持っているのではないか、と思った。
最初、今の日本の美術(館)という制度にまつわる問題提起かと思ったけど、これ、違う。プチブルの世間話のネタ帳に見える。むしろ、そういうプチブルの世間話のネタ帳の事例として、その性格を考えるのに良い例かもしれない。

問題意識が薄いと思う。「外国での経験」がそんなに素敵なものだとは思わないし、中国や南米やアフリカや東欧、といった国々の「美術館」の話は皆無で、西洋社会の話しかない。つまり、ステロタイプなのだけど、これは「エリート志向を攻撃するプチブル」ではないか、と思う。エリート志向を攻撃する姿勢を見せて「民主的な」意匠をまとうことにより、自分が見ていないものをたずねることをやめるプチブルじゃねえか。
「美術館」という制度の概要、成立のあらまし等々は記述するが、「美術館という制度」は、肯定的なものとしてしか評価していない。ただ、その「美術館=良いもの=民主的なもの」という素敵な効果が、うまく社会に浸透していったか否か、という観点でのみ、日本と「素敵な外国」とを比較しているだけ。そもそも「美術館という制度」が必ずしも良いものかどうか、という問題意識には進んでくれない。(戦後)民主主義至上主義?


「日本の美術館」に関する記述は面白かった。ほとんど考えたことがなかったし。百貨店型美術館とか新聞社主宰の文化事業とか。

デジタル・ビデオ・カメラ

偶然結婚記念日が同じまえちょびに撮影してもらった、結婚式と結婚パーティー一次会(二次会の映像が欲しい)の映像をPCに取り込むために、デジタル・ビデオ・カメラを借りてもう二週間ほどたったので、やっと、先週、返そうと思って、まえちょびが茨木市駅を通る時に途中で降りてもらったのだけど、僕は寝坊した。
ので、今日は、朝まで集団即興演奏の回の準備をしていたけど、幸い別件の雑用で10時過ぎに起きれたので、ちゃんとオーディオ・プレイヤーに音楽も入れて、まえちょびにお礼のお土産として、僕の大好きな、パンの耳を揚げただけの30円の揚げパンのお菓子を持って、図書館に返すために本とマンガも持って、せっかく外出するのでミスドで勉強するための本も持って、ちゃんとゴミだしもして、そんで茨木市駅に着いて、階段のぼってて気付いたのだけど、まえちょびに返すためのデジタル・ビデオ・カメラを忘れた。
びっくりした。高校生の頃は、常に、待ち合わせ場所には約束の10分前には着くような人間だったのに。

だからおもちゃデジタル・ビデオ・カメラを前田家に送ってみようかと思うのだけど、それは面白いだろうか。
今日は火曜日なので、図書館は休館日だった。
ミスドで美術史学の歴史のお勉強。
こういうかたちで音楽学(という制度、分野、等々)の歴史に関する知識は共有されていない。そういうことがなされる必要があるのかどうかといえばあると思うのだけど。学史というものは、それだけしかないと詰まらないし無意味だと思うけど、自己批判がないものは腐るだけだと思うので。


Thank God for Sept 11 photo - n photos at pbase.com
ひでえ。
「宗教団体」の活動の一環(だった)らしい。


大学非常勤講師の実態と声 2007 - サマリーと目次
僕は自分は結構幸せだと思ってるのだけど、そうじゃないかもしれないらしい。
暗くなる。

2007年5月28日月曜日

純正律

四回目にして電子音響音楽のネタはかなり固まってきたのに対して(昨年度は一時間くらいで終わったのに、時間が足りなくなってきた。具体音楽のジレンマはとばす、とかも分かってきたのに)、純正律の話は、三回目なのに、よく分からない。聞く人の常識が上手く想像できないのと、音響物理学的な用語の簡略化が不完全なのに、人文学としての歴史的な話をすっとばしてるからかな?これ、説明の順番から単語の解説まで全部作り直そう。スライドじゃなくて板書してるし。ハリー・パーチを例に使うのもやめ。
全く話を聞かずにだらだらして出席をとらないと分かると帰る人、寝てる人、すごく興味深そうに聞いてる人、さらに授業後に話かけに来る人、色々な人がいる。ただ、関大は少ないので、それがピンポイントに、誰其だったりする。それも良し悪しだなあ。あいつら、大学の授業に何を求めてんだろう。僕、学部時代に講義式の授業に出たっけなー?ほんとに、三回に一回も休まなかったのって、ないんじゃなかろうか。
現代芸術論に出てくれてる彼は、誰かを思い出させるのだけど、まだ誰かは分からなくて、クラフトワークが好きで、ミニマル・ミュージックの話を楽しみにしてくれてるらしい。まだ作ってないや。

2007年5月27日日曜日

www.myspace.com/kokujintensai

www.myspace.com/kokujintensai: "Kokujin Tensai"
これはすごい!


極楽湯

2007年5月26日土曜日

Cafe Co*machi

茨木駅南、かつてのジャズ喫茶コルのすぐ北側にあった(ジャズ喫茶コルは、ただの空き家になってた)。お洒落な(?)カフェ。阪急電車が見えるカフェ。
BGMでEWFのShining Starのリミックスが流れてる。というか、Earth, Wind, & Fireのリミックスが流れてる。そうるそーすというシリーズのリミックス集らしい。


小町WEB


慶信会記念病院

赤瀬川源平か堤真一

僕は赤瀬川源平(左)か堤真一(右)に似ているらしい。自分じゃよく分からん。

雑用で一日中大学にいた。
ずっとしてて、終わらなかったので夜もしてたのだけど、椅子の上で寝てしまってた。
起こしてもらって茨木まで連れがいたので色々話をしていたのだけど、僕は「後輩」にあんまし良い影響を与える先輩ではないのではないだろうか、と思った。
それと別に、なぜ僕は他人の不幸話を聞くと反射的に笑ってしまうのだろう?「反射的に」笑ってしまうのだ。

2007年5月24日木曜日

ひゃくまんべん

僕は、僕を踏み付けたり僕が踏み付けたここらへんからは離れた生活を始めたはずなのに、2006年度後半よりも頻繁にここらへんに来てる。明日も一日中いる。明日こそメディアセンターでアカウントを作ること。
とうとう授業準備が間に合わないかもしれない、という焦りにおそわれるようになった。あと、電子音楽の研究は、今年度中に何かの形になるだろうか、ってのも。
僕は、会計報告のためのexcelファイルのテンプレート作りからはじめないといけないのだけど(迂遠だけど、しとかないと整理がつかなくなるので、ワークフロー作りからやっといたほうが絶対に良い)、何か使えるの、ないかなー。
なんかばっかばかしーなー。つまんねー。

プランダーフォニックスの回

立命館でプランダーフォニックスの回を終了。
コミュニケーション・カードへのコメントとして「出席点があるという理由で、被害者面して、出席しないといけない、ホンマだるい、とかいうなら、欝陶しいから来るな」と言ったら、授業中、えらい静かになった。怒って言ってんじゃないのに。
前期の目標の一つに、どこでやっても大丈夫な鉄板のネタを少なくとも一つ作る、というのがあって、プランダーフォニックスの回はそうなるかな、と思ったけど、終わったら反省点が続出。次はフルクサスの回に期待をかけようと思った。どのネタならどう、とかじゃなくて、やり方の問題だという思考は、おさえこんでおくこと

反省点
プランダーフォニックスとマッシュアップの明確な区別が不明。使用する音源を「ひょうせつ」するかいなかだけでは、DJ DangergreyのGreyalbumとプランダーフォニックスとの差異が不明確。元ネタが何か分からないと意味がない音楽実践という規定は、元ネタが何か不明でも意味がある音楽と区別しようと思ったのだけど、しっかりとした区別じゃない。刀根とOvalは、プランダーフォニックスではないのだから、しっかり分けて考えること。つまり用語の定義がそれぞれ不十分。
プランダーフォニックスの作品の「批評行為」を具体的に説明すること。
今の著作権法について、もうちょっとしっかり説明すること。
プランダーフォニックスの戦略の構造をもうちょいまとめること。

プランダーフォニックスについて勉強しなおすこと。単語の定義を明確にすること。
個々の事例の位置付けの明確化。
作者概念、作品概念の変容をめぐる大きな流れの中にプランダーフォニックスを位置付けること(レゲエとは違うとか、あくまでも、楽譜に基づく音楽と比較する、とか)

とメモしてたらバスで寝てしまって、今、錦林車庫。
雑用のために京大に戻るのだ。明日も雑用で京大に行くのだ。
あぁ。
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ということで、雑用準備のための雑用というものをするために京大にやってきて、予算案作成準備のファイル作成をせねば、と思ってラップトップを開いたところ、間違えてBloggerじゃなくてGmailにこの文章を送ってしまっていて、なのでラップトップからBloggerに投稿しなおしてるのだけど、すると縦と横は自動的に直されないことを発見した。というか、今まで、なんで縦横が自動的に修正されていたんだろう?
それにしても、予算案作成準備のファイルの作成方法がさっぱり分からない。

ナタリー - [キセル] ベートルズのルイはトモを呼ぶ競演

ナタリー - [キセル] ベートルズのルイはトモを呼ぶ競演

2007年5月23日水曜日

ISOファイル

が壊れてたらしく、最後にDVDのモーグをみれなかった。基本的に浅い内容の回だし、モーグを見せなきゃどうしようもないので、えらい落ち込む。帰宅したらすぐに原因を探らねば。
基本的に事例の羅列に過ぎないので、夏に作り直すこと。今期はせめて、聴覚文化の変容を示す一つの流れとして位置付けること。あと、シンセサイザーと鍵盤の連結の問題について語ること。
オンドマルノトとトラウトニウムは、クラシックな世界に受け入れられた楽器として、後者は映画の世界に受け入れられた例として位置付けること。AIFFファイルの再生がおかしいのもチェック。
エレキギターとハモンドオルガンは、どーしよー。スティールギターは、バンジョーみたいなもの。
テルミンについて、もっとポイントを絞って話さないといけない。

2007年5月22日火曜日

Joost™

Joost™
これ、すげえ。たしかに、テレビ、なくなるかも。
欲しい人、招待状あげるからいってくれ。

古いほうのラップトップだとビデオ・メモリが足りなくて見れない気がする。

2007年5月21日月曜日

寺山修司 - 「トマトケチャップ皇帝」「檻囚」「青少年のための映画入門 3面マルチの左画面」

いやもう、ただ、分からない。
トマトケチャップ皇帝は半ズボンらしく、半ズボンのトマトケチャップ皇帝の所業を「昭和」に重ね合わせ、大人と子供、異形と正常、男性と女性等々の軸に沿って解釈していけば、それなりの解釈になるんだろうなあ、と思った。けど、しなかった。

イメージの羅列に連鎖を見出し、つなぎ合わせ、「解釈する」という作業をする「必要性、モチヴェーション」の「正当性」について疑問に思う。

けど、これはそんなにたいした問題じゃなくて、正当性云々を問題にする以前に解釈「してしまう」対象に出会えるかどうか、という問題なんだろうと思う。
なので、個人的には、ただ、ちゃんと見てなかったので(上部構造と帝国主義を攻撃する、コーネリアス・カーデューの時代がかった文章読みながら、半ズボンの男の子が銃を構えて女性に襲い掛かる映像とか見てた)、ああ、たぶん僕はこの映像と問題意識を共有していないなあ、と思った。
小学生くらいの子供のラヴシーンがあるから、今なら(この頃も?)映画館で上映とかはできないんだろうなあ、と思った。

なんで字幕はドイツ語なんだろう?たぶん、トマトケチャップ皇帝の衣装のモデルはナポレオンなのに。
何か入手方法はあると思うけど、僕はubu.comからダウンロードした。
U B U W E B - Film & Video: Terayama Shuji

音楽のJ・A・シーザーってのは、高田純次の同級生らしい。

2007年5月20日日曜日

これは何だ?

これは何だ?誰に聞けば良いんだ?


どうやら、どこからであろうと、大きなファイルをダウンロードすると確実にネット接続が落ちるらしい。


ドライバを一度削除して再起動してみた。これでいくといいな。


いかなかった。1-2分でインターネット接続が落ちる。

2007年5月18日金曜日

Moog

MOOG
やっと見た。早速来週の授業の後半はこれを見せることに変更。
とりあえずchap1, 2を見てもらって、chap.6の最後のほうを見てもらう。
時間があれば、chap.9も。
目的は「電子楽器の一般化」のプロセスの紹介。


電子楽器やシンセサイザーそのものは、Moog(×ムーグ、○モーグ)以前にあったが、それらはせいぜいTVCMや映画のSEや「一般受けしない実験音楽」でのみ使われていただけで、電子楽器やシンセサイザーが「ポピュラー」なものとして、そして「演奏用楽器」として使われるようになったのは、モーグ・シンセサイザー以後。

その他に、ウサチェフスキーとスウィッチド・オン・バッハにも言及すること。

モーグが電子楽器の世界に入ったのは、高校生の時にテルミンを設計して、1954年にテルミン制作ではじめてお金を稼いだから。

モジュラー・シンセの開発は1964年以降

chap.6の最後のほう
Moogが一般に流通していった様子が分かる映像:Edd Kalehoff at the Moog Synthesizer(CMらしい)

chap.7
Moog Quartetの映像

chap.9
ウサチェフスキーは、シンセサイザーに鍵盤をつけることをとんでもないと考えた云々という会話。

2007年5月17日木曜日

引継

せずに去っていった複数の人間の顔が浮かぶ。まさか、僕が四年前、まだ脳みその量が生まれた時と同じだった最後の時期に、期間限定で作った書類と再会できるなんて。
なんで、返送してきた書類は整理してないのに、返送してきた書類をいれてあった封筒を、後生大事に整理して置いてある?
ほんとにひどいので、一言も文句を言わないことにしようかな、と思った。


とりあえず、雑用するためにロッカーに物を置くスペースを空ける、という雑用は終えた。
どのように終えたかというと、見えない場所に過去の(間違いなく不要な)書類を置き去りにしたり、確実に不要な書類を捨てたりしたのであった。
で、これはまだ、雑用を始める準備ができたに過ぎないのであった。
ということは、僕は木曜日の夜、かなりの頻度で京大に戻らないといけないのではなかろうか。ふっらふらになる。

明日の笑っていいとものゲストは村上ショージ

という素晴らしい情報がるいくんからもたらされた。
明日は、PCの電源をつけっぱなしで外出すること。


これはMarcel Duchamp - Anemic Cinema (1926)
有名な映像だけど、ubu.comに転がってた。不思議なサイトだ。
音は無くて、こういう「目の錯覚」(とまとめてしまいたくなる)映像だけだったらしい。
はなっから網膜的絵画を捨てて脳髄的視覚芸術を志していた人、とデュシャンを決め付けてはいけない。階段を降りる裸婦とかいうタイトル(うろ覚え)キュビズム的絵画も描いてたんだし。
でも、今や、あんまし時代のコンテクストも知らない状態ではこの程度の映像に何らかのショックを受けることは難しい。

2007年5月16日水曜日

家族割

というのがあるらしいので加入しとくこと。
フルクサスの音楽というもろに僕にヒットするテーマで卒論を書きたい近大の人にお勧めする日本語の本が思い浮かばない。ストレートにはないので、何かの迂回路を考えたげないといけない。別に僕の仕事じゃないけど、職能としてできないといけない。
師匠を中途半端に見習って、まあえーやんの精神に則って選挙会則の校正をやっつけたのだけど、早速間違えてたらしい。自分の評判が下がるのは良いとして(そりゃ、そつなく仕事をこなしているふりをしていきたいと思いますのでよろしくお願いします、と挨拶した人間として、良くないけど)、他の人の仕事を増やすとすまない気持ちになる。
いちおうすちゃだらぱーが好きな人にもまわしたのだけど、責任をとらせる人を間違えてた様子。師匠というのは、生き方とかを見習うのではなく、自分の矢面に置くべき人物のことなのかもしれん。
ま、いっか。おなかすいたし。

2007年5月14日月曜日

朝日放送 | なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!

朝日放送 | なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!
昨日の横丁へよーこちょは、ひでえ話だったなあ、と思った。
5月の第2日曜日(母の日)にするお話じゃないと思う。

2007年5月12日土曜日

休館

ではなくて、まだあいてない。僕は休館日の図書館に縁があるみたいなので、今日の京大図書館もそうなのかと思ったけど、違う。
ただ、ちょっと調べ物を始めようと思ってたけど、その前に利用資格云々をしないといけないので、今日から調べ物するのは無理かな。


幾つかの意味で啓発的な会議だった。普通に会社に入ると、絶対使い物にならない会議。
「会議すること」と「議論すること」と「結論を出すこと」は全て別だと思う。
僕は赤瀬川源平に似てるらしい。


WFMU's Beware of the Blog: Malaria Awareness Dance Remixes
←これgif動画なのだけど、動かないなあ。






you tubeに元の映像がいっぱいあった。

2007年5月11日金曜日

John Cage on a TV Game Show in 1960 (Water Walk in January, 1960 on the popular TV show I've Got A Secret)

WFMU's Beware of the Blog: John Cage on a TV Game Show in 1960 (video)

ケージの「シアター」関連の映像を長時間きっちり見るのは珍しいし、面白かった。
Walter Walkは5:35-8:55。

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4月終わりごろに以下のようなメモを書いたけど、これはイタリアのクイズ番組に出た時の映像じゃない気がする。Water Walkが1959なのか1958なのか1960なのか1961なのか、調べなおさないといけない。とりあえず1959ということにしておくけど、そのうちチェックし直すこと。
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○1959年の、ケージのイタリアのクイズ番組出演について:SilenceMLより
:クイズ番組の名前は"Lascia o raddoppia"
:ホストのMr. Mike Bongiornoは、ケージが誰か知らなかったらしい。
:真夜中に放送された番組らしい。
: そのときケージは、五週間ほど、イタリアのラジオ局の電子音楽スタジオ(the Studio di Fonologia della RAI di Milano ("Phonology Studio of Rai"...early electronic music experiments))のゲストだった。
:John Whitingによると、Luciano Berioは、ケージは資金が必要だった、クイズ番組のプロデューサーは予めケージに問題を渡してたらしい(解答は渡さなかったけど)、と語ったらしい。
: このヴィデオ・クリップには含まれていないが、ケージは"If you act in the field of sounds unintentionally there is no concern about the beginning, middle, or ending, and that process resembles our environment."と語ったはずらしい。
:このクリッ プは、2004年1月にNYで「the Anthology Film Archives, (32 2nd Av @ 2nd St, (212) 505-5181)」という場所で上映されたらしい。そのフェスティヴァルは「Variations: A John Cage Film Video & Music Festival」という名前だったらしい。

2007年5月10日木曜日

音源の入手方法等

とか参考文献を教えたげること。
寝過ごさなかったけど、そもそも乗るバスを間違えて河原町まで戻ってしまった。でも座れるからこのほうが良い。
ということで、写真は河原町の阪急。
色々思うけど、昨年度後期よりましなことは間違いない。
と、自分を慰め始めるのもどうかと思う。
かりおんは店を畳むらしい。もう京阪の回数券を買ってしまったのだけど、一日乗車券使うのだから、河原町からバス乗ればいいんだ。
カレー食べたい。

分からないこと

を話すつもりなんかないけど、話さないと自分が分かっていないことが分からないことがあるらしい。
レコードの歴史の話。現実問題として、分からないことは話せないので話そうと思ってたことをかなり割り引いた話になるしかないのに、一番さらりと終えたかった、デジタル化の話が残った。
ので、もう、来週、そこはさっと飛ばしてしまおう。
作曲の理想化とか演奏の理想化とかいう言葉は、それだけではキャッチーじゃなくて、それがキャッチーになる文脈を作らないといけないらしいので、これ、作り直さないといけない。一つの考え方だ、という話し方しか出来なかった。
写真は立命館の地下の生協。本を置いてもらうなら、参考書指定とかで紹介するもんらしい。そりゃそうなのだけど、どう紹介したらいいか考えないと、僕の講義の話題はけっこう狭いのだ。
京大購読は、一回に色々きかせるんじゃなくて、毎回少しずつ聴かせること。いつになったらIntroductionがおわるんだろう。
立命館のロックコミューンの人がいた。なぜか、今、ロックコミューンでは、バンドな人とノイズとかげんだいっぽい人の二つに別れてるらしい。ナノとかネガポジでライブしてるってさ。
そして僕は、立命館で中間レポートのお知らせをするのを忘れてたらしい。履修登録者が220人を越えてる。日常点を評価しないことにすればよかった。


写真添付するの忘れたな、と思って、携帯からPC取り込もうとしたら、携帯からPCに取り込むソフトが壊れたみたいで、ソフトが起動しない。めんどくせえ。

ジュヌヴィエーヴ・ブレスク『ルーヴル美術館の歴史』

ジュヌヴィエーヴ・ブレスク 2004 『ルーヴル美術館の歴史』 高階秀爾(監修)・遠藤ゆかり(訳) 大阪:創元社。
美術館の歴史の背景知識として。
とばし読みで良かったので、数十分で読んだ。
要塞→宮殿→美術館(ナポレオン美術館→パリ・コミューン設立時のごたごたでチェイルニー宮殿が消失)等々といった経緯らしいが、詳細は不要。美術館の設立は、いわゆる百科全書的な知のあり方と深い関連がある云々。

僕がルーブル美術館に行ったのは26か27の時だけど、異常に広かった。


www.myspace.com/yanokami
僕はrei harakamiにはあまり興味ないけど、これは細野トリビュートで聞いてかっこ良かったので、アルバムを予約したかったのでしようとしたけど、まだできなかった。


スケジュール: "内橋和久・高橋悠治DUO"
今日、近大で学生から入手した情報によると、近日中に閉鎖されるBridgeに高橋悠治がやってくるのは「やばい」のでぜひとも行ったほうが良いらしい。6/23らしいけど行けるかどうかは微妙。

2007年5月9日水曜日

トータルセリエリズム

の話はどうやったら面白くなるんだろう?
聴き手には作曲における緻密で精密な組織化プロセスが分からないしゅちしゅぎ的な音楽ってのは、その存在自体が面白いと思うのだけど、何かが色々足りないらしい。なんだ?
写真は梅田駅で、オーディオプレイヤーからは細野トリビュート。慣れるけど、やっぱし片道一時間以上って遠い。
トータルセリエリズムか。どうしよ。たぶん来週の電子音響音楽も似たようなもんなんやろなあ。
細野の蝶々さんのカバーって恥ずかしいなあ。
近大生協への営業終了。僕は、一対一なら良い感じかもしれないけど、なぜか、笑いを誘うらしい。なんでや。
トータルセリエリズムはどうしたらいいんや。

桃谷

せっかく早めに着いて色々しようと思ったのに、乗り過ごした。
JR鶴橋駅で乗り換えないといけないのだけど、JR長瀬駅を待ってたのだ(もちろんそんな駅はない)。

2007年5月7日月曜日

八時

関大は終わると暗い。
ゆうっくり、同じようなことを何度も繰り返して話したほうが良いらしい。ただし、どんどん予定から遅れていく。

しばらくは教師の修業!と思ってたけど、やめ。声に出して人に説明するのは面白いけど、それだけじゃモチベーションが続かない。今後の僕は1950年代の電子音楽を研究するのだ。けっこうな大著も数冊のモノグラフもあるけど、まだけっこうすることがある。
(特に日本では)ほとんどあらゆる音楽家が参加し、制作、流通、音響結果、消費のほぼ全ての段階に影響を与えた上に、ほんの数年でその様相を激変させてきたし、今もさせている。資料は山ほどあるけど、細かな整理がまだな気がする。
ケージや小杉が電子音楽に夢見たものと、シュトックハウゼンが夢見たものの違いは、もっと明確にされるべきだし、電子音楽の歴史性が記述されるべきだと思う。50年代前半の電子音楽を楽しむ方法ってなんだ?

→呼びかけ
誰か、僕とtwitterで遊び相手になろう!

2007年5月6日日曜日

倉田喜弘 2001 『「はやり歌」の考古学』 東京:文春新書。

倉田 喜弘『「はやり歌」の考古学―開国から戦後復興まで』

倉田喜弘 2006 『日本レコ-ド文化史』 東京:岩波現代文庫。は日本の話だけで残念。あと、資料収集検索はものすごいけど、生産・流通・消費のプロセスがどのように変化していった等々を、美学的というか、データの記述以外の言葉で記述していないのが残念。

幾つか分かったこと
日本の「はやり歌」「流行歌」「歌謡曲」等々は、カチューシャの唄以前と以後で概観できるだろう、と見当をつけていたけど、それほど簡単なプロセスではない。
端唄、壮士歌、蓄音機受容、「はやり歌」、「浪花節」、軍歌と賛美歌受容以降の「洋楽」創出、「現代邦楽」の出現、「音楽美学」の受容、等々は、全て関連がありながらも、それぞれの領域内で推し進められていると考えるべき。

今の課題
それぞれをどのように区分すべきか、それぞれの結節点はどこか、をもう少し明確に把握すること。
あと、音源資料が入手できないものが多過ぎる。あっても絶版が多いし、いちいち高い。パブリック・ドメインじゃないのか?パブリック・ドメインでも「好事家」が好む代物なら、ubu.comみたいなサイトからオンラインでダウンロードできるという状況にはならなさそうな気がする。最近、科研採択一覧というものすごく馬鹿みたいな雑用をしたので知ってるのだけど、日本の初期SP録音や日本の電子音楽の黎明期の音源のデータベース化並びにアーカイヴ化は進められているらしいので、ぜひとも利用しやすい形で早めに公開してもらいたい。

今の概観
大雑把な枠組み

歌えなかった日本人

幕末~明治20年代
端唄等

明治10~20年代
軍楽と唱歌の定着
(自由民権運動→)壮士歌

1914(大正3年)
「カチューシャの唄」

検閲の時代

選定歌、懸賞歌

15年戦争中

WWII後

ここに入ってないのは、日本の蓄音機受容、「浪花節」の重要性、軍歌と賛美歌受容以降の「洋楽」創出(音楽取調掛の動向)、「現代邦楽」、「音楽美学」、とかか。
大雑把過ぎるか。もうちょい勉強せんとなんともならん。なんかないかな。

2007年5月5日土曜日

細野晴臣トリビュートアルバム-Tribute to Haruomi Hosono-

細野晴臣トリビュートアルバム-Tribute to Haruomi Hosono-
ミーハー気分で買ってしまった。
やっぱり、ハイスクール・ララバイが一番面白かった。


肯定ペンギンの言葉「それ、すごくいいと思う」

2007年5月4日金曜日

とんぼ返り

喉の痛みがとれない。


結局とんぼ返りせずに、高校時代の同級生たちとの彼我の差を体感して、心を落ち着かせてきた。
違うけど、それが、それはそれで面白い。
自分が和歌山から出て行きたかった理由の一つも思い出すし。

でも、喉の痛みはひかなかった。


ケージとコンピューターについて:SilenceMLより
I Ching - Andrew Culver's DOS utility programs (ic and tic) for simulating the I Ching coin oracle.
cSounds.com
SoundHack
http://www.newmus.net/filelib.htm

John Cage Computer Programs by Andrew Culver
http://anarchicharmony.org/People/Culver/CagePrograms.html

FontanaMixer: computer program by Karlheinz Essl which generates a realtime version of John Cage's "Fontana Mix" (1958)
http://www.essl.at/works/fontana-mixer/download.html
http://www.lichtensteiger.de/FontanaNet.html

Concepts, Notations, Software, Art by Florian Cramer

http://userpage.fu-berlin.de/~cantsin/homepage/writings/software_art/concept_notations/concepts_notations_software_art.html

IRCAMでもFontana Mixのために何かが作られたらしいが、それが保存されているかどうかはわからないらしい。


Downloads
今、Mills CollegeでDavid Bernsteinのもとで勉強している人の作ったプログラム
Mac OSX Dashboard widgetらしい。

2007年5月3日木曜日

行列のできるケーキ屋

らしい。味は、まだ食べてないので知らない。
急な用事で帰省するので、高槻ジャズなんとかでローリーは見れない。風邪も治りきらないし困った。


TechCrunch Japanese アーカイブ » Pandora、木曜夜から米国外のユーザーをシャッ�

吉田省念と三日月SOUP - Studio Live 2007 April

りらっくすー。
でも「ええ声」やなあ。

2007年5月2日水曜日

葉口英子・河田学・ウスビ・サコ(編) 2007 『知のリテラシー』 京都:ナカニシヤ出版。

知のリテラシー文化
「リテラシーを持つこと、当たり前と思っていることは当たり前ではないことを知ること」が面白いことを、伝えるところからはじめないといけないことをわが身を振り返って思ったのであった。論文集じゃない教科書は必要だし、これなら学生も読めると思う。
音楽の話でもマンガの話が多かった。「個人の趣味」や「アイデンティティ」の成立を象徴的闘争という考え方で説明してサウンドスケープという発想まで教えるというのは分かりやすい話だと思う。
ただ、歴史も伝統も作られるものだけど、全体を通じてどっちの話もない。僕は権威主義者なのだろうか。
普通にお勉強として読んでしまった章もいくつか。大丈夫か、僕は。

開店

さあちゃんのお店。
なかなか居心地が良かった。コーヒーがすっきりだった。がんばっておくれやす。
場所は、河原町今出川を下ったあたりで、元ダムタイプの事務所(たぶん)で、現ヴォイス・ギャラリーがある建物(たぶん)。

吉田省念と三日月SOUPとPブロッ

けっこう面白かった。CDRを買ってしまった。省念とはノックダウンズのヘルプを一緒にした時以外に演奏を見たのは初めてな気がするけど、ノックダウンズとは大違いだった。上手すぎるかも。帽子のツバの折る方向がなかなか素晴らしい三人組だったけど、ここにジムニーはどんな帽子のかぶり方で参加するのだろうか?
雰囲気は、誰かの同窓会みたいだった。誰もが吉田寮の雰囲気を持ってるじゃないか。けっこう少なかったし。
珍しいキノコ何とかとか山下残を思い出す。「前の世代の反動」なのか?
Michael Parsonの5つの音を選ぶ作品が面白かった。

たまいと一回だけ吉田寮で演奏した時にギターを弾いてた人(はまむらという人)がいた。どっかで見たことあるなあ、と思ってたけど。

Flickr - slide - pon (最近の200枚)

macromill