2007年7月31日火曜日

読売新聞 - 擬音 or 効果音(1946-1960)

他の新聞記事をチェックする方法を考えるために、まず、興味本位でコピーしてきたこれらを読んでみた。
新聞記事は、どうやって読んでいったら良いのだろうか。やっぱり、先に学術論文と『音楽芸術』などの記事や論文を読んで、ある程度の枠組みを把握してから読まないと、扱うデータが細かくて色々見失いそうだ。

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これらの「ラジオ・ドラマ」をきいてみたいけど、どうやったらきけるのか分からない。
基本的に、音響効果の仕事はまだ「かげのひと」の仕事なので、新聞では、こういう仕事があることを知らせる必要がある、という段階だったらしい。

3.1952/11/14
一ヶ月前に発売された擬音効果レコードが7000セット(7枚組)売れ、さらに申し込みが殺到していたらしい。
NHK効果団は毎日のように各種公共団体から効果音ついて相談を受けていた。小遣い稼ぎの内職がなくなる(若手)、今まで苦労して作り上げてきたのにおいそれと公開できない(ベテラン)という意見もあったが、文部省社会教育局芸術課が関わり、一年以上かけて、発売にあい至ることになった。

6.1953/6/28
昭和二十年代(1945-1955)まだラジオドラマは生放送
音響効果団、音響効果係なるものの存在自体を、新聞で紹介して教える必要があった。

8.1954/12/19
によれば、日本で初めて「効果」という名前がアナウンスされたのは、大正14年NHKリチャード・ヒューズ作「炭鉱の中」。和田x(?精?)。
いちおう昭和5年にアメリカから擬音レコードが輸入されてからは、スタジオで音を作る方法も少なくなったらしい。

13.1957/9/7
クランク・アップから封切までの映画の"オト屋さん"の苦労を紹介する記事:面白い。
シンクロ・ロケ(×後から音を録音するアフレコ)の苦労(サウンド・ロケの苦労)
空想映画のオト作りの苦労
擬音(今時、単純なものは使わない)制作の苦労
音のライブラリーの「分類」の苦労:効果団が録音した音は全て保管されるらしいが、再利用は、「記憶の引き出し」に頼るしかないのが現状

15.1957/10/16
文化放送のドラマ(ラジオ・ドラマ?)、安部公房書下ろし『棒になった男』は、音響効果、音楽に力を入れている、という紹介

2007年7月29日日曜日

せんきょ

色々あったことを覚えているだろうか。


研究ニュースクリップ別館~科学政策をめぐる話題 - 各党参院�



旧丸正のお話。ぶらくりちょうは、ここ五年で人通りが半減したらしい。


「財政再生団体転落の恐れも」和歌山市長 全庁一丸で赤字削�:まあ、僕は今は茨木市民だ。


部屋から結構遠い郵便受けに入ってた。
僕は民主党を支持するわけじゃないけど、こういうのは誹謗中傷と言わないのか?これくらい簡単に言わないと主張が伝わらない云々と思ってる人は、伝えようとする人のことをかなり馬鹿にしてるのではなかろうか。
エプロン付けて買い物袋持って買い物に行く人って、最近、見たことないぞ。







ちゃんと小学校に行って来た。

2007年7月28日土曜日

mapup.net

mapup.net
おださんはまだ元気に活動しているらしい。
昨日、読書会で知った一番の良いお話かもしれない。


Lucky Lips
昨日、読書会で、もはや「最近の音楽の流行」という話し方自体が有効じゃなくなっているのかもしれない、という話をして、そういうのは「現場」(気持ちの悪い言葉だけど)を知らない人間の典型的な言い草だと思うので、その通りだとは思わないけど、ついでに、すずらんの音源を聴いた。
僕がたくたくで代役で叩いた時の、あの素晴らしい音源はなくしてしまったらしい。
というか、もともと音源は残してなかったのかもしれない。


The Audible Past 読書会:
昨日はあんまし内容が濃い部分ではなかったと思う。
とりあえずおさえておきたいことは、Sterneの「音響再生産技術」の定義。
(しばらく「sound reproduction technology」は「音響再生産技術」と訳すことにする。)

1.acousmatic or shizophrenic definition of sound reproductionにおける音響再生産技術

たいてい「音源と音を分離する能力」とされる。

2.それに対する批判
批判1:前提を批判1-4(20-21):対面性を重んじる本質主義的態度、身体性とコミュニケーションの歴史性の欠如
批判2:"final, fundamental or transhistorical answers" (21-22)である。

3."transdeucers"
「音響再生産技術」
:"transdeucers"を用いるもの、として音響再生産技術を定義する(22)。
(transducers: 音を何か別のものに変換(し、何か別のものを音に変換)するもの)

2007年7月27日金曜日

One 11 With 103

B000HEV7SSOne 11 With 103 (Full Sub)
2006-12-05


modeのDVDは、基本的はリージョン0なので、アマゾンの情報は間違えている。
One 11は、a film without subjectで、モノクロの光の濃淡が90分ほど続く代物。「構築への意思」が見受けられないというのは潔いかもしれないと思ったりもする。面白い。見て即座に「面白い」わけではなくて楽しむためには長時間見る必要があるので授業ネタにはならない。
高踏的なあばんがるどは嫌いだけど、でもこういう映像は、こういうあばんがるどな代物(っても1990年代に作られた映像だけど)でしか見ることはできなくて、で、Brian Enoの14 Video Paintings (Dig)よりも面白いと思ってしまったりもする。少なくとも、ハードコアじゃないあばんがるどには意味がないことは分かる。

""One11" was composer John Cage's only full-length film, assisted here by Henning Lohner. It is legendary in Cage-circles, and fans have been demanding this for some time now."らしいけど、これ、DVDで出なければ、まず確実にubu.comで公開されるだろうフィルムだ。


色々な用事をすませるためにまずはみずほ銀行に行ったところ、桂小枝が、たぶん探偵ナイトスクープを収録中だった。

博士論文の進捗状況2

アウトラインが一通りできたので、アウトラインを整備していく、というところまで来た。実験音楽における音響理解の変遷を、実験音楽の戦略と倫理の展開と行き詰まりの中で理解するという筋になるはず。とてもじゃないけど8月中に書ける気がしなくなってきた。

FAST and SLOW Giappone-XLVIIII Biennale di Venezia 2001

第49回ヴェニス・ヴィエンナーレ(2001)の記録。
水戸芸術館の逢坂恵理子という人がコミッショナーで、藤本由紀夫、畠山直哉、中村政人の3人の作家のグループ展にした時の記録。24分弱。

藤本由紀夫《Sugar I》(1995)は、これだけが、藤本由紀夫のDVDに収録されていた。回し始めて6年たった状態として。あのDVDの補足としてしか使える気がしない。会場にはずっとキーボードの音が流れていたらしい。《Room (Venice)》(2001)というキャプションがついてた。
16:20以降。キーボードのドローンで「都市の状態」を表す、というロジックに「付き合ってあげる必要性」とは何だ?

こういう言説(含'展覧会')が、ほんとーに、心の底から、馴染めなくて仕方ない。どうしよう。
ほんとにどうしよう。

観光気分で行くと本当に面白いことは知ってる(Dokumentaが面白いことを知ってるので)。僕は、自分がこの手の「アート」を好きなことも知ってる。
僕は、自分がこの手の文章を読める(可能)ことを知ってる。がんばったら(たぶん、まだ)書けることを知ってる(たぶん)。
こういう言説(含'展覧会')が「有効」な場所が、現実に存在していることも知ってる。「アート」にお金を出すのは、せいぜいそういう場所でしかないことも想像がつく。

でも僕は自分がそこに属していると思うことができないし、そこに属したいと思っているとはとても思えない。「どこに行けば面白いか?」ということを考え続けること。

サン・ラー - ジョイフル・ノイズ

B000ECY5O6サン・ラー ジョイフル・ノイズ
サン・ラ
アップリンク 2006-03-24


古い映像だなあと思ったら1980年。時代は変わる。

music is a spiritual / universal language. 云々というサン・ラーのヴィジョンは、けっこう簡単に整理できてしまうんだと思う。アフロフューチャリズムとしての「エジプト回帰の志向」とかは。

「音の鳴り響き」は、モチーフ、リズム、アンサンブル、モチーフの構成(組み合わせ、連結)等々は、(このドキュメンタリーではモンクや民ガスを超える、と絶賛されてるけど)それほど大したものではない、かなり単純でトラディショナルなジャズではないか、と思う。「音楽学的な分析的アプローチ」をする意味はほとんどないように思う。

だからやっぱり、単純にまとめてしまえる気がするけど、サン・ラーのアフロフューチャリズムを他の何かと比較するくらいしか、僕の視点からサン・ラーに言及する必要性とか必然性はないと思う。
60年代の「集団即興演奏(MEVとかAMM)」とサン・ラーの比較とか。でもこれは、実りある比較になるようで、なかなか不毛な比較にしかならない気もする。欧米圏の毛沢東主義や公民権運動の展開と、(特にアメリカの)「黒人」をめぐる問題圏の比較なので、「音楽(活動)を比較すること」の意味がどの程度あるんだろう?
あるいはSpace Musicとして、ジョージ・クリントン(これもアフロフューチャリズムだけど)とシュトックハウゼンを比較してたあのエッセイは面白かった。

子供たちのためにdisciplineを強調して「自分の周囲」を良くしたいと思うのって、初期のHip Hopと同じだ。

「自分の周囲」を改善するために「遥か彼方の世界(エジプトとか古代世界とか宇宙とか欧米社会とか、そういうの」を理想化するロジック、というのは色々あるなあ、という感想。
あと、生活を共にすることにより「全てが音楽になる」というロジックも色々あるなあ、という感想。そういうのを「音楽全体主義」と呼んでおきたい。もうちょっと練っておきたいアイデア。
音楽じゃなく、joyful noiseらしい。

Sun Ra and his orchestraが、かなり初期からMoogシンセサイザーを使ってる、ってのは、豆知識以外に何か意味あることなのだろうか?
映像に出てきてるのは、Moogじゃなくてハモンドだと思うけど、でも音はシンセサイザーの音っぽい。機材に詳しい誰かが教えてくれないだろうか。
屋外で演奏している時は、明らかにシンセサイザーだけど、どこのなんというものかが分からない。

これもまた30分ほどで飽きてしまったのであった。

2007年7月25日水曜日

Listen

B000EQIT9Yリッスン
エサ=ペッカ・サロネン; カイヤ・サーリアホ; ジェルジー・クルターク; ジョニー・グリフィン; ジョン・ケージ; ヤニス・クセナキス; ルチアーノ・ベリオ; ミシェル・ファノ; ジョルジュ・アペルギス; ペドロ・バカン ミロスラブ・セベスティク
アップリンク 2006-04-28


フランス語で『ベトナムから遠く離れて』という映画で音楽を担当したミシェル・ファノという人の原案が元らしい。知らない人ばっか出てくるので、このDVDを文脈におさめるのは難しい。日本語字幕あるけど。(ないと分からんけど、あってもかなり情報が省略されてることは分かる。)
かなり「音楽学的」なので「高踏的」で少しきついなあ、くらいのことしか伝わってこないので、これは授業では使わんなあ。


聴くことの神秘的な諸相を強調せずに、聴覚について面白く話すにはどうしら良いんだろう?
神秘的な諸相を強調すると、そこに潜む様々なイデオロギーがあたかも「自然」であるかのように「押し寄せてくる」けど、これが鬱陶しい。
聴くことの神秘的な諸相を強調し、例えばジョン・ケージの聴覚に対する捉え方を秘境的に礼賛し始めたら、それらが理解されないことに憤るルサンチマンを生活の基盤に置くまで、あと一歩になってしまう気がする。

「音(という自然)」とか「聴覚(という身体性)」について語っているようだけど、それらの言説のほとんど全ては「(西洋的な)音楽観の吐露」に過ぎないと思う。しかも、かなり偏った音楽観の吐露に過ぎないと思う。
こういう「隠れた"ニュートラル"な音楽観」というものを摘発していく作業が必要だと思う。

クラリネット奏者のLouis Sclavisという人の演奏はかっこよかった。10秒ほどだけど。
ジョン・ケージの英語は分かりやすいけど、これは僕が慣れてるからだと思う。


あと、再提出やペナルティ提出以外は、立命館の分を採点するところまで来た。
400字詰め原稿用紙に換算して1300枚以上読んで採点しないといけないので、採点基準はかなり絞り込んで機械的に採点できる程度にまでは決めたけど、丸二日以上は潰すつもりで採点しないといけない。想像するだけできついけど、8月中に片付けること。
立命館は、とんでもないクレーマー君もいたけど(中間レポートでルサンチマンのようなものをむき出しにして罵倒してきたクレーマー君の最終レポートは面白くなかったけど)、好きなことできたし、なかなか反応も良かったし、面白かった。こういうネタを、他に授業二つ分くらいは欲しいもんだ。


音楽配信メモ A Nation of Thieves? - 盗人国民?


色々動く必要があったので、自転車借りて、ものすごく久しぶりに自転車に乗った。追記してから気付いたけど、これ7/23の話だ。









豆。
追記してから気付いたけど、これ7/23の話だ。









ミキサーが来た。
これは7/24の話。

練習スタジオ

まずはブラウニーズとやらが一番近いのかな?場所とか雰囲気が全く分からんけど、夏休み中に一回行ってみること。もうSDを持参するのはやめよう!と思った。

Yahoo!電話帳 - 大阪府 - 茨木市 - エンターテインメント - 音楽 - レン�: "ブラウニーズ"
JACK LION OFFICIAL HomePage
Yahoo!電話帳 - 大阪府 - 高槻市 - 情報、通信 - 録音 - 録音スタジオ: "ジュピターミュージックスタジオ"
SUBROCK_takatuki


ブラウニーズとやらは営業している様子がなかった。


ジュピターミュージックスタジオとやらは、もう練習スタジオじゃなくて録音スタジオしかしてなかった。

2007年7月24日火曜日

the Unknown Marx Brothers

Unknown Marx Brothers (Ws)
Leslie Nielsen Groucho Marx Jack Benny
1572522097マルクス・ブラザーズはドキュメンタリーじゃなくても映像があるんだからそれを見ないといけないという基本的なことに気付いた。途中でSpike Jonesが出てきてた。

2007年7月23日月曜日

結果

あなたは僕と会ったことがありますか?

あなたは僕と会ったことがありますか?
複数回会ったことがある。
6 (60%)
一回会ったことがある。
3 (30%)
ないけど知ってる。
1 (10%)
ないし知らない。
0 (0%)


Votes so far: 10
Poll closed
---------------
こういうことになった。
ほほう。

2007年7月22日日曜日

場所

「なみなみ」に移った。雨降ったし、炭使うのめんどくせー、となった(気分が)。


つまりキノコも花火も関係ない飲み会になったのだけど、実は特に何の告知も人を集める努力もしなかった割に、久しぶりにのんびりした気分で雑談できて楽しかった。で、すがちゃんにきのこの山をもらって、初めて食べた下のやつがけっこう美味しかった。出かける直前に思いついた「金平糖入りのおにぎり」は、ものすごい味だったらしい。僕はそのおにぎりには当たらず普通に美味しいおにぎりに当たったので、美味しかった。
次の口実を考えねば。次はみくしで告知するのはやめたほうが良い気がする。


でも月曜日も京大に行かねば。月曜が駄目なら水曜。


音楽の圧縮ファイルが、とうとう200GBを超えた。すげー量だなー。


iA Web Trendmap 2007

キノコと花火のお知らせ

目的:なかがーくん前期終了お疲れぱーちー。
すること:キノコ(合法キノコとかそんなんじゃなくて、食べて味わうためのキノコ。しめじとか。)を食べて花火をする。
方法:7/22の18時ごろに出町柳周辺(というか、たぶんかりおん)に集合して、買出しして、キノコを食べて花火をする。
予想:最悪の場合、カセットコンロとフライパンになってしまうらしいけど、何の準備もしてないのでそうなると思う。
→七輪あるってさ。すげえ。

僕がすること:日曜日なので事務には行けないけど、郵便物を取りに京大に行くべきだと思われる。何か作る余力があるだろうか。

2007年7月20日金曜日

博士論文の進捗状況1

博士論文にやっととりかかれそうな気がしてきた。書き始めたわけじゃなくて、どう書くべきか方針が決まるような気分になった、くらい。まだアウトラインを作り始めることができるようになった、という段階。D1の時の論文を読み直して、ひどいなあ、と思った。人文学は科学ではないのだろうけど、でもひどい。
昔の論文をそのまままとめれば良いや、と思っていたけど、ほぼ全て書き直さないといけないだろうことが判明。というか、そうする決意を固めた。
文章も構成も、だいたいそのまま使えるのは、ラ・モンテ・ヤング論文くらいではなかろうか。
「内容」というか、論理のポイントとなる部分はそのまま使える(はず)なので、材料を整理したら、実際に書くのにはそんなにやたら時間はかからないはず。
だと信じたい。

目標:8月末日までに一度完成させること。
小目標:7月末日までにアウトラインを完成させること。
序文と結論部分を除いて全5章の予定。

この写真は、10年前にNYに行った時のパスポートの写真(左)と、前の二月にそのパスポートを更新した時の写真(右)。
右側の(つまり今のパスポートの)写真は目のバランスがおかしくて、それは後遺症のせいなのだけど、とてもそうは見えないと思う(そしてこの写真では分からないと思う)。単に「ひねた」ように見えると思う。
「京都物語」として京都のことを清算する時に使おうと思ってたのだけど、この夏、頻繁に使うことに決定。
続き物ができた。世界中の人々は僕の博士論文の行方に興味津々に違いないから、アクセス数が爆発的に増加するに違いない。


Festisite: Personalized money generator:これを知ってればつついとこころちゃんの時、楽だったのに。

2007年7月19日木曜日

茨木市立図書館

は今日も休みだった。


国内のオンラインで物々交換できるネットサービスまとめ - GIGAZINE


脱Twitterした。飽きた。
mixiももう見なくても良いか。


文献複写依頼をオンラインでできることに感動した。
………………………………………………………。


えっ1秒で終わり?White Stripes(ホワイト・ストライプス)最短ライブ�
Prince(プリンス)最新アルバム『Planet Earth』、全曲試聴! | doops! - music blog

2007年7月16日月曜日

逆境ナイン

逆境ナイン 全力版
玉山鉄二 島本和彦 羽住英一郎
B000CFWRIG
マンガのほうが断然面白いに違いないという確信が校長室の時点で芽生えて確固たるものとなった。


先見日記 Insight Diaries:グラミンフォン≠グラマフォン


「博士論文」に取り掛かり始めた。一ヵ月半ほどこれにかかりきりにならねばならない。
このブログには進捗状況が着実に記載されていくに違いなく、世間は僕のことに夢中だから、きっとこのブログへのアクセスも爆発的に増えるに違いない。そしたらきっと右側にある投票みたいなのの投票数も増えるに違いない。
会ったことはないけど僕のことを知らなくてわざわざこのアンケートのようなものに答えてくれる人は何人いるんだろう?

2007年7月14日土曜日

みんな~やってるか!

みんな~やってるか!
ダンカン 左時枝 小林昭二
B00005EDS1この作品をほめることは「批評」としての腕の見せ所だと思う。

The Audible Past

The Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction
Jonathan Sterne
082233013X

学んだこと
基本的に、序文はSterneのアプローチをまとめている。
一言で言えば、Sterneのアプローチは、(フーコー的な)構築主義的アプローチ。

なので、音響再生産技術そのもの(蓄音機等々が登場した時の衝撃)ではなく、それらが登場する以前の認識論的パラダイムの変化に注目する(ので、蓄音機等々が登場した後受容された速度の速さに注目し、音響資料よりも文書資料に注目する)。

また、「音の歴史性」を捨象する超歴史的なアプローチをthe audiovisual litanyとして批判し(具体的にはオングとデリダ)、代わりに、音の定義には必然的に身体性が含まれていることを強調する。

具体的な記述の検討ができないので、後からこの読書会を使えるように、けっこう自分で色々まとめて行かないといけない。
結局、まだ、hearing, listeningの区別、auditory, audibleの区別が明確に把握できてないし。

「だから就職したほうが良い」という話のまとめ方に飽きた。

次は7/28。やっとintroductionが終わる…。


全自動で作曲するFlash「tiny drum machine」 - GIGAZINE

2007年7月12日木曜日

前期終了

終わったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

サウンド・アート

マークレイは、音楽メディアから音メディア、そしてメディアとしての視覚と聴覚へと、作品のテーマを拡大していった人。
デマリニスは、メディアとなることにより抑圧された、テクノロジーが持っていた可能性をテーマとする、メディア考古学的な視点を持つ人。

クリスチャン・マークレイの、レコードをテーマにしたものと楽器をテーマにしたものは、レコード・テクノロジーが知覚に与えた影響の検証、という枠組みで一緒に説明すると分かり難い。
サウンド・アートの概観は、もう少し丁寧にして、二回分にすること。
じゃないと、結局、デマリニスの話が、全くできん。

2007年7月11日水曜日

サウンド・アート

近大終わった!
後一日。

サウンド・アートのとこ、詰め過ぎ。二回にしてもいいくらい。じゃないと、現代音楽の最後にサウンド・アートの説明をする意味の説明できない。
音楽家としてのマークレイの説明が曖昧。サウンド・アーティストとしてのマークレイの説明のスライド、いくつか位置を間違えてる。
これ、何回も作り直しせねば。

2007年7月9日月曜日

現代音楽

関大終わった!

フルクサスの破壊音は、現代音楽の楽音の拡大に終止符を打たんとする身振りで、ミニマル・ミュージックは、戦後アバンギャルドへの反発とそれらの統合だ、という物語をしたてあげよう!
最後の質問は、前期の授業で一番わからなかったことは何ですか?というのにしたのだけど、現代音楽の何が面白いか全く分からない、という解答があって、その他色々なことに加えて思い悩むことが増えた。

後期の関大6は、毎週自分が楽しみにできる授業にしよう。プランダーフォニックスのお話。


「サウンド・アート」の回を準備するために修士修了時のレポートを読み直し、大変面白かった。たしかに修士論文より面白かったかもしれない。
博士論文の最終章に使いたい。


結論
もう良いや。あそこは僕の場所じゃないのだから。じゃ、どこがどこだ?
これは「ぼやき」。
なぜ嫌われてるか分からないまま嫌われるのは気持ちが悪い。
先のことはきっと何とかなる。

2007年7月7日土曜日

してんだ、僕は、ここで、今。
という疑念につきうごかされて、出てきてしまった。貧しいげいじつの話は(予想と違って)面白かった。
なにげない選択が決定的に人生を変えてしまうもんらしいけど、これはそうじゃないといいなあ。


偉愚庵亭憮録: "50歳を過ぎた男が何かにハマるのだとしたら、それは収穫と考えねばならぬ事態なんだろう"


こんなペースで「読書会」なんかして何かの役に立つのだろうか?
コスト・パフォーマンス。
とか。
コンテクストの共有ができてないのかな?


Paul DeMarinisとChristian Marclayの「作品画像スキャン+作品の理解」で自分の時間としての週末が終わってしまった気がする。
基本方針として、画像は最低でも100kb以上にした。
スキャンは、お金があれば、もっと短時間で済ませることもできたのかもしれないけど、そのためには同じ本をもう一冊買ってばらさないといけなくて、でも、それで上手くいくとも限らないし、他に選択肢はなかったのかもしれない。本人たちとコンタクトをとっていない身としては。
Paul DeMarinisの近くに留学したのだから、コンタクトとれたら良かった。
なんにしろ、これらは今後も使える代物。
「聴覚文化研究」という領域が自律的なものとなろうとなり損ねようと、使える素材なので、ちょっと時間をかけて人目に晒せるようにしたい。
とか思っているうちに、どこかで誰かがもう人目に晒す準備を終えているのかもしれないし、僕は、「"たいせい"は全て否定せねばならない」と思う類のサヨクではないので、今の僕程度の身分ではそこには絡ませてもらえない、なんとかしたいなあ(して欲しいなあ)、と思うのであった。
誰かが助けてくれる話ではないので、なんとかせねば。


なので、とりあえずは、このブログのあくせすあっぷをしよう、と思った。
のだけど、誰も何も提案してくれなくて、妻から「ブログのタイトルを続き物にして、結論は翌日とか来週にすれば良い」という案だけがやって来た。
なんか違う。


メロディーロード - R25.jp: "メロディーロード"

送付状の書き方

送付状の書き方:カバーレターというのは社会人にとっての常識だったらしい。一つ賢くなった。

100点

この程度の漢字なら100点取れた。

2007年7月6日金曜日

グラサン

図書館で調べ物してからこの夏から留学する人々の壮行会に顔出したら、サングラスなくした。あぁ。
壮行会のノリがひたすら若くてひきそうになった。なんか無視されがちに感じるのは被害妄想だろうか。だとしたら危ないなあ。
明日も京都に来ないといけないのが嫌で嫌でしょうがない。


明日も京都に行かないといけないのが嫌で嫌でしょうがない。
けど、「行かないといけない」というのは本当に「行かないといけない(must)」なのかというとそうじゃない気もしてきた。
けど、だからといって、「なんとなく」さぼってもかまわないかというとそういうことはなさそうな「気がする」。
強制されていない(たぶん)けれど義務感とか強制されているようには感じていて、でも、それは(自分と?)他人に対する言い訳としては使えない。

なんか分からなくなってきた。自分のモチヴェーションの保ち方が分からなくなってきた。
迷える子羊のようだ。
なんだか分からないまま方針だけ決めるとして、そのうちこの話は「自分のモチヴェーション」と「自分が集まる場所(この場合は「美学会」という制度)を有効活用する方法」として肯定的な何かとして仕立て上げておくこと。
「集まらなくなった人々」の顔ばかり浮かんでくるけど。


そういや、明日は、「郵便物を渡す」という素敵な大仕事があったことを思い出した。なので「行かないといけない(need)」。
(転送すれば良いやん。)


とりあえず、特に目的もなく「アクセスアップ」を目指そう!
「シリーズ物」を作ると良いらしいから何か考えよう。

皆様からの御提案をお待ちしております。

ふーん

と思った。


クリスチャン・マークレイの作品リストは、ない(discographyならあるけど)。

インク

B000FHTDWOELECOM 詰め替えインク THC-9BK4
エレコム 2006-03-16

by G-Tools
一年弱で6つ使ったらしい。

2007年7月5日木曜日

太田裕美

「木綿のハンカチーフ」しか知らん。

フルクサス

学生に北海道土産としてバター・サンドもらった。うれしい。
概念の説明はしたので、個々のアーティストの個々の作品、イベントを見せる日だったので気楽と言えば気楽な日。1.5時間で終わってしまうので、もう少し他にも紹介したほうが良いかもしれんけど、諸概念の説明との整合性がなくなってしまうので注意。
ラ・モンテ・ヤングのimaginable soundはいーとして、デビット・チュードアのためのピアノ作品はどう紹介したものか、と思ってたのだけど、これこそ「楽器への冒涜」の例だということを、学生に意見を言わせることにより思い出したのだった。あと、フルクサスのアーティストたちのおかしなロジックは、ポスト・ケージというコンテクストを考えないとさっぱり分からない、とか、そういう話。
が、学生から「この人らはなんで音楽やってんだ?」という、真っ直ぐにもっともな疑問が提出され、ちょっと止まってしまった。
小杉のAnimaはどう紹介したものか。

あと一週間!

2007年7月4日水曜日

ミニマル・ミュージック

雨が降ったからか後二回だからかはわからんけど、三人しかいなかった。ので、プレゼン・ファイルは全く使わず。
ミニマルには二種類あって、ドローン音楽も反復音楽も、戦後あばんぎゃるど第一世代への反発で、聴取の焦点をずらすもので、70年代前半には拡散していった、という話になった。
聴取の在り方の変化として、クライマックスがないこと、規則的なリズムが維持する終結には向かわない進行感、という話をスライドに入れておくこと。

ベルベットとかテクノとかリミックスについて話せるようにしておかないといけないらしい。ルー・リードを知らない人がほとんど。クラムボンのほうが人気。
後期のゼミの英文は、美術史絡みにすること!モチベーションを保つ方法を考えねば。


The Wire #278によれば、Terry Rileyは、最近、the Kronos Quartet絡みで、NASAのためにSun Ringsという作品に関わっていたらしい。どういうものか分からないけど、宇宙空間で録音した電磁波を可聴音に変化したものと関係するものらしい。少し気をつけて情報を集めてみよう、と思った。
「ミニマル・ミュージック」から遠く離れて変化していけた音楽家なんだなあ、ということを知った。息子も音楽家らしい。

2007年7月3日火曜日

一年

映画『シッコ Sicko』公式サイト
帰国してやあっと一年たちました。
コラムの花道に、まちやまともひろが生で登場してたので分かりやすい。
我が身を省みるに違いないけど、これ、見に行かねば。
英語を聞く耳はどんどん劣化していってるけど、使わない能力は退化していったら良いと思う。必要になったらまた使えるようになると思うし。

わらびもちを凍らせたものに賞味期限がうつりこんでいた。

結婚生活

めずらしい人生KAN1987~1992
KAN
B00005FJOF

A「結婚生活とは忍耐である。」
B「僕は今、学校をお休みした妻が聴いてるKANを聴いてる。」
AとBは、単に併置された文章に過ぎない、ということにしておこう。


女子は「上書き保存」男子は「別名保存」という言葉は初めて知ったけど、これは言い得て妙だとは思うけど、そもそもこういう違いに引っかかるのは男子だからだと思う。
だから「文化系女子」という言い方も、この言葉を使うのが女性であっても、その言葉を使おうとする欲望自体は「男性的」なものだと思う。

なんか男性的とか女性的という理解の仕方も飽きてきたなあ。

2007年7月2日月曜日

CPU

授業でDVD見せる度にカクカクして、映像に音声がおいつかなくて、ISOファイル使わなくなったのに不思議だなあと思ってたのだけど、原因に思いあたった。
ラップトップとプロジェクタの、両方に出力してるからだ。そりゃCPUパワーくうはずだ。
プロジェクタにだけ出力するようにしたらスムーズになったけど、手元で画面が見えんとこじゃ、どーしたらいーんやろ。

フルクサスと現代音楽小史

フルクサスについては、三つの主要概念じゃなく、イベント>コンセプチュアル・サウンド>破壊音にしてしまおう。
で、デュシャンの話は削る、と。スパイク・ジョーンズの情報と映像がもっと欲しい。
みんな、オノヨーコのことは知ってるらしい。

現代音楽小史は、結局三回になってしまった。
ミュージック・コンクリートじゃなくてコンクリート・ミュージックだ、という間違いをいい加減に直さねば。
シュトックハウゼンの《習作II》の紹介は、修正すること。
シェフェールは、あんがい好評なことが多い。

来週で終わりだと、色んなのが話しかけにくる。
非常勤すると浅く広く語る術にだけ習熟する。夏は研究しようと思っても、この夏は博士論文だ。
二時間話した後のこの疲労はなんだ。

2007年7月1日日曜日

妻木良三

目黒区美術館にようこそ
かりおんで知り合った和歌山出身の、腰が僕よりも悪いいけめんのグループ展。和歌山に帰っては坊さんして、京都で絵を描いてるらしい。このドロドロしたものはなんだ?
妻木くんが有名になったら、もらったこのポストカード、高く売れるなあ、と思った。
あんまし行けそうな気はしないけど。


妻木良三(つまき りょうぞう) 画家 洋画 [Artis-アルティス]
妻木良三
妻木良三
workshop
もらったポストカードの行方が分からなくなった(11/30/2007)。なくしてはいないので、どっかにあるはず。たぶん色々な葉書をまとめて入れてある袋のどこかにあるはず。

河端茂 1977 『レコード産業界』 東京:教育社新書。

河端茂『レコード産業界』昭和52年の時点での、レコード産業界の数値のまとめ。Jポップ・バブルが起こるはるか昔の新書。
レコード・ビジネス(<音楽ビジネス)に関する新書なので、レコード・ビジネス100年小史を読み流すだけで良いかな、と思った。
僕がまとめないといけない分野じゃないし、新しい情報がある本が出ているに違いない(知らないけど)。
参考文献の情報が全く書いてない。

音を記録したいという欲望の例としてラブレーのfrozen wordsがひかれていたり、エジソン以前の「音を記録する試み」が簡単に紹介されているのに(今のところ、これは、僕が見つけた中で一番古い、日本語で「フォノトグラフ」という言葉が書かれている本。シャルル・クロへの言及があったり。でも、きっと僕が勉強不足だからに違いない。)「音楽学」はラブレーにほとんど注意を払ってこなかったのだから、「音楽の分裂」という事態は、もう少し精緻に調査できたほうが良いのかもしれない、と思った。

「レコードの歴史」の回を作り直すモチヴェーションをあげるくらいの効果かな。

あしゅぼ

タバコの熱源と煙の両方を感知して、部屋の隅からあなたの元に転がってくるあしゅぼ(ash ball)。転がって足元でとまったアシュボは灰皿として灰を自分の体内に格納してくれるので、これでもう灰皿が近くにない時にタバコに火をつけてしまっても大丈夫。しかも空気清浄機機能も併せ持っているので、待機時には、ひたすらタバコの煙やその他のお部屋の空気の汚れを体内フィルターで除去し続けるし、タバコを吸っている時には、タバコとあなたの口から出てくるタバコの煙を吸い続けるので、家族みんなの健康に優しい商品!
ボールを包むスキンと、転がりはじめと到着時の音声はカスタマイズ可能。例えば、たぶんアムロ・タイプのアシュボくんは、丸いガンダムのスキンを付けて、転がり始めるときには「あむろ、いきまーす」と言うんだろうし、吉本新喜劇バージョンの場合、ランダムに数回に一回は「ぱちぱちぱんち」と言ってしまうんだろうと思われる。

きっとそのうちMP3再生機能とかラジオとかデジカメとかワイヤレス通信機能とかも搭載されるに違いない。
商品化時には、是非とも、原案料として天せいろくらい奢って欲しい。

藤本由紀夫展「哲学的玩具」

阪急梅田で阪神に乗り換え、西宮まで特急に乗り、西宮で普通に乗り換える、と。

アーティスト・トーク、面白かった。興味深い話でも90分間は長いことを知った。話は聞くよりするほうが時間が早くたつ。

70年代に大阪芸術大学を卒業した後も大阪芸術大学に籍を置いて電子音楽スタジオにこもっていたけど、70年代末にアナログからデジタルへの以降にも乗れず、悶々としていた時期に、『目と耳のため』展のカタログに出会い、そこからA.キルヒャーに出会った、という話。
『目と耳のため』展を見て、必死でドイツ語を訳して読んで、「音楽と美術の融合」を感じ取ったらしい(「音と美術の融合」なら分かるけど、ここで「音楽と美術の融合」と感じるのはすっきりしない話だと思うのだけど、その話は全くなかったのが残念)。で、一時間弱は『目と耳のため』展のカタログの説明。知ってる作品ばっかだったけど、白黒だった。
『目と耳のため』展のカタログの説明で「サウンド・アート」の回は作れるかもしれないなあ、と思った。

で、このカタログに出ていた図版をきっかけに、A.キルヒャーに興味を持ったらしい。
科学的には「ペテン師」だが、物事を自分なりに探求し、突拍子もないアイデアでも、生産して、しかも具体的に図示するプロセスは「アート」の立場からは興味深いものだったので、Musugia Universalisという本を慶応大学まで行ってコピーしたりしたらしい。

で、オルゴールを箱に入れる以降の様々な作品群は「キルヒャーが教科書」らしい。
キルヒャーの伝声管の研究(アイデア)がそのまま藤本由紀夫の耳のパイプになっている、とか。
藤本由紀夫は、キルヒャーのドイツ語訳にあったTonkunstという言葉から「サウンド・アート」という言葉を使い出したらしい。

「音楽と美術の融合」を感じ取るまでの論理的飛躍と「サウンド・アート」という言葉に至った過程において見落とされているだろうものについて不思議には思うけど、面白い話だった。

作品は、audio picnicで見たものが多かったけど、改めて面白かった。色々自分でいじれるし、メディアとしての感覚諸器官をモチーフにしていて素晴らしい。
妻がオルゴールを大変気に入っていたけど、オルゴールだけはなかなか手に入らない。どっかに売ってないかな。

久しぶりに外食して遊んだ。すっかり大阪の人になるのだ。


【オピニオン】参院選公約に「童貞への健康保険適用」を : bogusnews


「あらゆる世代が、次世代が好む音は大きく騒がしく不協和で破壊的過ぎて音楽に値しない、と信じている。この議論のパターンは西洋では少なくとも1580年代にまで遡ることができるが、19世紀以降、一層顕著なものとなってきた。というのも、19世紀には、新しくて大きな、あるいは音量が大きな楽器が登場し、さらに広汎で大きなコンテクストで演奏されるようになったし、20世紀には、ラジオ、グラマフォンのスピーカー、PAシステムを通じてそれらの音が電気的に増幅されたからである。」
Schwartz, Hillel 2003: 497

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