2007年7月7日土曜日

してんだ、僕は、ここで、今。
という疑念につきうごかされて、出てきてしまった。貧しいげいじつの話は(予想と違って)面白かった。
なにげない選択が決定的に人生を変えてしまうもんらしいけど、これはそうじゃないといいなあ。


偉愚庵亭憮録: "50歳を過ぎた男が何かにハマるのだとしたら、それは収穫と考えねばならぬ事態なんだろう"


こんなペースで「読書会」なんかして何かの役に立つのだろうか?
コスト・パフォーマンス。
とか。
コンテクストの共有ができてないのかな?


Paul DeMarinisとChristian Marclayの「作品画像スキャン+作品の理解」で自分の時間としての週末が終わってしまった気がする。
基本方針として、画像は最低でも100kb以上にした。
スキャンは、お金があれば、もっと短時間で済ませることもできたのかもしれないけど、そのためには同じ本をもう一冊買ってばらさないといけなくて、でも、それで上手くいくとも限らないし、他に選択肢はなかったのかもしれない。本人たちとコンタクトをとっていない身としては。
Paul DeMarinisの近くに留学したのだから、コンタクトとれたら良かった。
なんにしろ、これらは今後も使える代物。
「聴覚文化研究」という領域が自律的なものとなろうとなり損ねようと、使える素材なので、ちょっと時間をかけて人目に晒せるようにしたい。
とか思っているうちに、どこかで誰かがもう人目に晒す準備を終えているのかもしれないし、僕は、「"たいせい"は全て否定せねばならない」と思う類のサヨクではないので、今の僕程度の身分ではそこには絡ませてもらえない、なんとかしたいなあ(して欲しいなあ)、と思うのであった。
誰かが助けてくれる話ではないので、なんとかせねば。


なので、とりあえずは、このブログのあくせすあっぷをしよう、と思った。
のだけど、誰も何も提案してくれなくて、妻から「ブログのタイトルを続き物にして、結論は翌日とか来週にすれば良い」という案だけがやって来た。
なんか違う。


メロディーロード - R25.jp: "メロディーロード"

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