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2007年12月27日木曜日

2008年の抱負

読書会の忘年会(今年の忘年会はこれだけ)を終えたので、来年の抱負を幾つか。

年内に紀要論文を書く(今月の発表を量を減らしつつ論文に仕立てること)(今年の目標やけど)
論文二本(「電子音楽」にまつわる論文とジャンルとしてのゲンダイオンガクにまつわる論文)
久しぶりにホームページを研究者のものとして立ち上げること。自分のプロフィールとかものせること。名称を考えねば。
「非常勤」もしくは「授業」に慣れること。今やってるネタはだいたい完成させて、音響再生産テクノロジーにまつわる話で半期分できるようにして、後、何か新しいことをできるようにすること。

こんなもんか。
こういうことは、新年にするべきか。
まあいいか。

今日の一番の発見は「実は僕は"僕のゲンダイオンガク史"を"正史"として語りたいだけに過ぎない」ということ、かな。「正しさ」とかをめぐる言論闘争みたいなものとは無縁でいたいということだけを考えていて、自分の言説も何かのコンテクストの中に位置づけられるものに過ぎないということと、自分が位置づけられる場所はどういう場所か、とか、そういうことを全然考えてこなかった。
なんと役に立つ読書会なんだろう。勉強した後の方が長くて役に立つ(?)なあ。今日、何読んだか、あんまし覚えてないもんなあ。
ちゃんと復習せねば。
僕は、今はまだ自由に使える時間がたくさんある時期らしいし。

2007年11月21日水曜日

The Audible Past

082233013XThe Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction
Jonathan Sterne
Duke Univ Pr (Tx) 2003-02

by G-Tools

なにがびっくりしたって、第二章と第三章のポイントのはずの「audile technique」という言葉を、ずうっと「audible technique」と思ってたこと。「audile」って言葉があるらしく、使われているのを見た記憶が無いけど、知覚において(視覚よりも)聴覚が優先的な人のこと、もしくは、知覚において(視覚よりも)聴覚が優先的な、という意味らしい。

とりあえずの訳語は
「audile technique / 聴覚中心的な技法 : technique of listening / 聴取の技法」
「techniques of audition(p.99)」は未定。

(身体の=聴覚の)技法が変化し、変化した技法こそが聴診器などのテクノロジーへと具現化した、というお話になるので、たんにテクノロジーとは人間の身体感覚が外化されたものだ、と述べるだけのメディア論とは違う、ということらしい(たぶん)。
つまり、身体感覚が単に外に出たもの(視覚の延長としてのメガネ、写真、望遠鏡等々、あるいは記憶力の延長としてのメモ帳、PC等々)として様々なテクノロジーを理解するのではなく、その前に、身体の諸感覚の変容を記述しよう、ということらしい。聴覚の技法が変化し、体内の音を病気の予兆として聞き取る(=音を知識を構成する一要素として理解する「聴覚」が出現する)からこそ、聴診器は「テクノロジー」として現実化するのだ、とか。
たぶん。

2007年11月20日火曜日

沖縄音楽

なんというか、うるさい。
海ぶどうは美味しい。

→
GoogleユーザーはYahoo!JAPANユーザーよりも友達がいない - GIGAZINE:僕はGoogleユーザー。

→
関西文學-公式サイト-:へー、と思う人の名前があった。

→
GoogleユーザーはYahoo!JAPANユーザーより老けており、未婚率が高い - GIGAZINE: "「ヤフーな人」は「グーグルな人」より若い しかし既に結婚している人が多い":僕は既婚者。

2007年9月23日日曜日

The Audible Past

082233013XThe Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction
Jonathan Sterne
Duke Univ Pr (Tx) 2003-02

by G-Tools

第一章第二節終了。第一章第一節以降は、わりとストレートな歴史記述としてまとめてしまえるものな気がしてきたので、一回で一節というのは時間をかけ過ぎな気もしてきた。なんか副読本欲しいな。
以下、メモ。
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1.音が「effect」となった、とSterneはいい続けているが、この場合の「effect」は一貫した使われ方をしているか?
:秋吉君の問題意識だけあってよく分からない。p61, 5l, p.66, 32段落目, p.65, 29段落目, 30段落目の「effect」等々を問題としていた。

2.耳医学の成立の話

3.近代生理学の成立と変遷の話
:音響理解、聴覚理解の変遷にまつわる事柄

4.「器具」と「音響理解、聴覚モデル」との関係にまつわる事柄

5.解剖学における政治性の話
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使い方を考えていかねば。

2007年7月28日土曜日

mapup.net

mapup.net
おださんはまだ元気に活動しているらしい。
昨日、読書会で知った一番の良いお話かもしれない。

→
Lucky Lips
昨日、読書会で、もはや「最近の音楽の流行」という話し方自体が有効じゃなくなっているのかもしれない、という話をして、そういうのは「現場」(気持ちの悪い言葉だけど)を知らない人間の典型的な言い草だと思うので、その通りだとは思わないけど、ついでに、すずらんの音源を聴いた。
僕がたくたくで代役で叩いた時の、あの素晴らしい音源はなくしてしまったらしい。
というか、もともと音源は残してなかったのかもしれない。

→
The Audible Past 読書会:
昨日はあんまし内容が濃い部分ではなかったと思う。
とりあえずおさえておきたいことは、Sterneの「音響再生産技術」の定義。
(しばらく「sound reproduction technology」は「音響再生産技術」と訳すことにする。)

1.acousmatic or shizophrenic definition of sound reproductionにおける音響再生産技術
→
たいてい「音源と音を分離する能力」とされる。

2.それに対する批判
批判1:前提を批判1-4(20-21):対面性を重んじる本質主義的態度、身体性とコミュニケーションの歴史性の欠如
批判2:"final, fundamental or transhistorical answers" (21-22)である。

3."transdeucers"
「音響再生産技術」
:"transdeucers"を用いるもの、として音響再生産技術を定義する(22)。
(transducers: 音を何か別のものに変換(し、何か別のものを音に変換)するもの)

2007年7月14日土曜日

The Audible Past

The Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction
Jonathan Sterne
082233013X

学んだこと
基本的に、序文はSterneのアプローチをまとめている。
一言で言えば、Sterneのアプローチは、(フーコー的な)構築主義的アプローチ。

なので、音響再生産技術そのもの(蓄音機等々が登場した時の衝撃)ではなく、それらが登場する以前の認識論的パラダイムの変化に注目する(ので、蓄音機等々が登場した後受容された速度の速さに注目し、音響資料よりも文書資料に注目する)。

また、「音の歴史性」を捨象する超歴史的なアプローチをthe audiovisual litanyとして批判し(具体的にはオングとデリダ)、代わりに、音の定義には必然的に身体性が含まれていることを強調する。

具体的な記述の検討ができないので、後からこの読書会を使えるように、けっこう自分で色々まとめて行かないといけない。
結局、まだ、hearing, listeningの区別、auditory, audibleの区別が明確に把握できてないし。

「だから就職したほうが良い」という話のまとめ方に飽きた。

次は7/28。やっとintroductionが終わる…。

→
全自動で作曲するFlash「tiny drum machine」 - GIGAZINE

2007年6月30日土曜日

今日学んだこと

ボーナスは素晴らしい。
就職したほうが良い。
「sound, hearing, listening」の訳語は、ここでは「音、聴覚、聴取」。慣れてしまいそうだけど、文書の種類によって使い分けねばならない。
35くらいで生き死にが判別されてしまうらしい。
Audio Culture: Readings in Modern Musicはつまらないらしい。細かいところを詰めていこうとしているのだけど、僕が3年ほど前に見つけた時にはそれについて何か書いている人を見つけられなかった様々な研究たちがある種の常識として共有されている場所があるらしく、僕はそこには縁がないまま「美学芸術学概論」という名前で授業をする最後の世代になるのかもしれない、とふと思った。数年後のことは分かんねえけど。
このペースで読書会続けるのはきつい。もうちょっと進行させないと。
僕は、「現代音楽崇拝者」のようなディスコースに対するオルタナティヴを提供するような立ち居地を探るべきらしい。10秒単位で少しずつ矛盾する話が連続する中で、これは覚えとこうと思った。「現代音楽」は、もう過去の歴史的遺産としてまとめてしまったら良いはず。
それで見えてくるものは何かと考えるほうが面白いけど、それでどのようなアウトプットを出せるかということをもっと考える必要がある。が、さしあたりは「電子音響音楽」の歴史を日本語で読めるようにする必要があると思う。思うのだが。
「聴覚文化研究とは何か?」ということはよく分からんかった。必ずしも「芸術(カッコつきのげーじつ)」に対する関心からアプローチする人ばかりではない、と。

これこそただのメモだ。ま、いっか。

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macromill