2007年7月1日日曜日

藤本由紀夫展「哲学的玩具」

阪急梅田で阪神に乗り換え、西宮まで特急に乗り、西宮で普通に乗り換える、と。

アーティスト・トーク、面白かった。興味深い話でも90分間は長いことを知った。話は聞くよりするほうが時間が早くたつ。

70年代に大阪芸術大学を卒業した後も大阪芸術大学に籍を置いて電子音楽スタジオにこもっていたけど、70年代末にアナログからデジタルへの以降にも乗れず、悶々としていた時期に、『目と耳のため』展のカタログに出会い、そこからA.キルヒャーに出会った、という話。
『目と耳のため』展を見て、必死でドイツ語を訳して読んで、「音楽と美術の融合」を感じ取ったらしい(「音と美術の融合」なら分かるけど、ここで「音楽と美術の融合」と感じるのはすっきりしない話だと思うのだけど、その話は全くなかったのが残念)。で、一時間弱は『目と耳のため』展のカタログの説明。知ってる作品ばっかだったけど、白黒だった。
『目と耳のため』展のカタログの説明で「サウンド・アート」の回は作れるかもしれないなあ、と思った。

で、このカタログに出ていた図版をきっかけに、A.キルヒャーに興味を持ったらしい。
科学的には「ペテン師」だが、物事を自分なりに探求し、突拍子もないアイデアでも、生産して、しかも具体的に図示するプロセスは「アート」の立場からは興味深いものだったので、Musugia Universalisという本を慶応大学まで行ってコピーしたりしたらしい。

で、オルゴールを箱に入れる以降の様々な作品群は「キルヒャーが教科書」らしい。
キルヒャーの伝声管の研究(アイデア)がそのまま藤本由紀夫の耳のパイプになっている、とか。
藤本由紀夫は、キルヒャーのドイツ語訳にあったTonkunstという言葉から「サウンド・アート」という言葉を使い出したらしい。

「音楽と美術の融合」を感じ取るまでの論理的飛躍と「サウンド・アート」という言葉に至った過程において見落とされているだろうものについて不思議には思うけど、面白い話だった。

作品は、audio picnicで見たものが多かったけど、改めて面白かった。色々自分でいじれるし、メディアとしての感覚諸器官をモチーフにしていて素晴らしい。
妻がオルゴールを大変気に入っていたけど、オルゴールだけはなかなか手に入らない。どっかに売ってないかな。

久しぶりに外食して遊んだ。すっかり大阪の人になるのだ。


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「あらゆる世代が、次世代が好む音は大きく騒がしく不協和で破壊的過ぎて音楽に値しない、と信じている。この議論のパターンは西洋では少なくとも1580年代にまで遡ることができるが、19世紀以降、一層顕著なものとなってきた。というのも、19世紀には、新しくて大きな、あるいは音量が大きな楽器が登場し、さらに広汎で大きなコンテクストで演奏されるようになったし、20世紀には、ラジオ、グラマフォンのスピーカー、PAシステムを通じてそれらの音が電気的に増幅されたからである。」
Schwartz, Hillel 2003: 497

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