2007年10月18日木曜日

快速急行

趣旨を思い違いしてた「シンポジウム」(?)に出て思うことを述べて、その後の打ち上げに行って、最後に先行きが暗いという不安感の吐露を聞いて、帰るために阪急河原町に行って、快速急行の最後は、30分代じゃなく17分だったことを知った。なので普通で帰る。
「分かり易い話」を書こうとしただろう人間が打ち上げで話す「難しい話」はどうなんだ?と思ったけど、「難しい話」は「難しい話」として出すしかない、という意見を覚えとこう。
自分が本当に面白いと思うことを伝えねばならない、か。
それは「教科書」じゃないし、それは先行きの暗さを教えないまま若い人間にお金を払わせる「収奪」構造を「解決」するものじゃないとかそもそもそれは解決すべきか「問題」として認知すべきか、とかは、別の話だったらしい。最後の他の人の反応を鑑みるに、どうやら、そういう話(だけ)をすべきコンテクストではなかったらしい(が、もしそうなら、スピーカーの立ち居地がずれてた気がする)。
どっちにしろ睡眠不足で疲れてたし、それには反応しきれなかった。

北白川の天一のあるところの二階のかっふぇで打ち上げだったので、やたら懐かしかった。
タダメシうまかったなあ。


人によって誰に向けて話してるかが違ったんだと思う。複雑なことを考えるための入り口を分かりやすく伝えても、複雑なことは複雑なことなので、言ってる内容は複雑なままなんだと思うし、それはそうするしかないと思うけど、その前提となる知識を学ぶ「意欲」のようなものを持ってもらう必要があるんだろうけど、それは、ストレートに言っても仕方ないことだろうから、何かパフォーマティヴなやり方を考えないといけない。
その前提となる知識をまとめた「教科書」は、ガイドブックとかキー・ワード集のようなものにしかならないだろうし。
自分で面白いと思えることだけをはっきりとした声で語る、とか。かな?「自分の声」と「それを届けたい相手」を決めてしまうことはできるのか?なんかよく分からなくなってきた。眠いし。


来年度はあるけど、来年度改組があるので、再来年度は分からないらしい。そりゃしゃーない。


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日本のコアな読者人口は3000人ほどと見積もるものらしい。
コアな学術書は、助成金を得るのが前提で、初版500らしい。
みずほ書房とかなら初版1000らしい。
O.K.のアルバム以下なわけらしいので、なんでそれで、商売として成立するかが分からん。
「そんなこと考える(ほど余裕のある or べき)身分じゃない」けど、分からん。
分からん。

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