2007年10月29日月曜日

The Audible Past

082233013XThe Audible Past: Cultural Origins of Sound Reproduction
Jonathan Sterne
Duke Univ Pr (Tx) 2003-02

by G-Tools

第一章終了。テレフォン・マン(the human telephone)は「難聴(治癒)のための試み」だったので、あんまし馬鹿にしてはいけない。
以下のようなことを思った。まとめた量が多すぎてこれでは使い物にならない。勉強の仕方を考え直していかねば。
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1.「口モデルから耳モデルへの移行」を明快に説明するための幾つかの事例として、「口モデル」で作られた音響再生産技術automataの歴史、ベルが子供時代にautomataを作っていた事例、自らを「耳モデル」の係累として表象するベルリナーの特許獲得のためのgeneology、が面白かった。

2.automata 自動人形の歴史については、Hankins, Thomas L., and J. Silverman. 2007. Instruments and the Imagination. Originally published in 1995. NJ: Princeton University Press.を参照すること

3.「口モデル→耳モデル」という言い方を「Faber的→エジソン的」と言ってはいけない気もするので、後者ではなく前者で覚えること

4.面白い想像として:例えば口モデルの電話が展開していれば、電話機は、電話をかけてきた相手の声を再生産する機械となっていたかもしれない(相手の顔と口の形を模して変形していたかもしれない)

5.あるいは「ベーコン→IRCAM」という庄野進的な物語は、音響再生産テクノロジーについて論じる際に、口モデルはなかったことにして耳モデルを偏重する(一種の勝利者史観的な)歴史だとも言える。

6.当初は「耳」をモデルとして形成された「鼓膜的図式」は社会の中に浸透していったので、すぐに「耳」は「鼓膜的図式」にとっての一事例に過ぎなくなった、というSterneの指摘は面白い。ただ「鼓膜的図式」という日本語訳を再考する必要があると思う。

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