2007年10月15日月曜日

声の実験

磁気テープがHONDAのCMを準備したというのは言い過ぎか。
ルッソロへの寄り道が長い。フーゴ・バルの音声詩の母音分析をしとくこと。
ダダも未来派もその名前を聞いたこともないことが当然の人間に僕が話す意味があることは、なんだ?
なんかぐだくだでやるせない。


× ある程度、音楽に詳しいという前提   →「現代音楽」の話
○ ほとんど何も「音楽」について知らない →「現代音楽」の話

こういうことか。ううむ。
「あるてーど」の知識を前提としてはいけない、というのは厳しい。
そしてどの程度の知識を持っているかが分からない、というのは厳しい。
どの程度の知識を前提とすべきか良いか考えないといけない。

色々さておき、大学は人を「教育」する場所かもしれんけど、そこで「教育」する人は「教育」についてほとんど何もかんがえていない(こなかった)人だと思うけど、そこらへん、誰か何か気にしてるのだろうか?


「理屈っぽい話はとばしとばしが良いらしい。」というのは、学生が原因というよりも、僕が原因なんだろう、と、けっこう当然のことに気付いた。理屈っぽい話をえきさいてんぐにする方法があんまし分からない。

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