Alexander Calder - LA MAGIE CALDER
Alexander Calder - LA MAGIE CALDER
カルダーのサーカスを見たかったので買ったのだけど、英語字幕がないので何を言ってるのか分からなくて、カルダーが時々英語を話してる部分だけ分かる。let's go!とかだけど。
渡米するまでのカルダーは、自分が作ったこの針金人形たちのサーカスごっこがきっかけであヴぁんぎゃるどな芸術家たちと知り合ったらしいのだけど(グッゲンハイムかホイットニー美術館のカルダーの部屋の説明で初めて知ったけど、有名な話らしい)、カルダーは、ものすごく精巧で面白い人形を作るおかしなおじさんだったんだなあ、ということが分かる。その精巧さ、巧妙さの行き先があまりどこにも向かっていないように見えるので、個人的にはその馬鹿馬鹿しさがmobile sculptureより面白い。
「芸術における音の歴史」の一部として考えることができるかな、と思ってDVDを買ったのだけど、これは「サーカス」とか「キャバレー」とか「ヴォードヴィル」のコンテクストの中に置かないと意味がない芸だった。でも、僕はまだ「サーカス」とか「キャバレー」とか「ヴォードヴィル」のコンテクストをよく知らないのであった。勉強しないとスパイク・ジョーンズとかフルクサスの文脈もよくわからないので、そのうち勉強せねば、と思ったのであった。「そのうち」というのは便利な言葉だ。何歳まで使えんのかな。
19:43ごろ、一瞬、助手のおばさんがBGMとしてのLPを取り替える場面があるのだけど、あの無愛想な顔はなんなんだろう。これが奥さんだったりするのかな?
mobile sculptureに関するチャプターは、ほぼ全てフランス語だし、さっぱり分からん。このドキュメンタリーのようなものは見ても仕方ない気もする。実物見たら良いのだから。
カルダーの作品は「分かりやすい」なあ。
こういう精巧な針金人形たちは、色々な歴史的文脈から離れて見えるので逆に面白いものであるかのように見える時があるけど、そんな代物があるわけがない。
じゃあこれらはなんだ?と考えて、これらは「芸術」なのか?と考えて、僕にとっての「芸術」という言葉の内実はかなり空虚なものであることに気付いたのであった。
「ハイ・アート」に対する幻想はいらないけどだからといって全て等質的なものだと考えるのもおかしいと思うけど、僕は、その間に組み込まれているであろう自らの価値判断を客観的に対象化していないんだろうなあ、と思ったのであった。
芸術学を勉強し始めて10年以上たつのに。
本でも映画でも音楽でも何でも「文化的な」産物の99%はくずだってことは、肝に銘じておくこと。
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