2007年6月18日月曜日

シデロ・イホス

「07年06月15日22時25分-NHK教育(大阪)-[S]芸術劇場 特集・美術と音楽の融合・」
NHKで放送されたもの。7:40 - 19:40くらい。必要な部分だけカットして、このファイルのほかの部分は捨てておくこと。
茅ヶ崎市美術館で行われている展覧会を取材したものらしい。
「ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣは茅ヶ崎・緑が浜にアトリエを構え制作活動をおこなっている原田和男(はらだ・かずお 1951- )がてがける音響彫刻の総称です。…」
初めて聞いた名前だったのでチェックしたのであった。なので探偵ナイトスクープを見れなかった。

「音響彫刻」という名付け親は一柳さんらしいけど、そのように言ってしまうことは不正確に過ぎると思う。「音響彫刻」という言葉のほーじゅんなかのーせーが、抑圧されすぎてしまうと思う。

それはともかく「創作楽器」で良いじゃないか、と思うのだけど、これをたんなる「楽器」として捉えるなら、まさに「創作楽器のジレンマ」を体現するような事例の気がする。
おそらく「創作楽器」の一番の意義は「新しい音色」を現実化すること、なので、(理念的に)あらゆる人間が使用することのできる汎用性のあるツールとして使われるなら、その「創作楽器」としての意義は後景に退き、「楽曲」としての意義が前面に出されざるを得ないので、その楽曲が「創作楽器の魅力」に依存するなら、それは「イージー」なものに過ぎないと思う。

創作楽器の意義は、それが、「新しい音をもたらすこと」もしくは「新しい音を発見することは面白いことであることを教えてくれること」だと思う。
が、創作楽器を「他の目的」に使う時も、その元々の「意義」は残っていて、「他の目的」と元々の意義が「あいまってさらにすばらしい効果をもたらす」と考えてることは、たんに「いかがわしい」と思う。

「楽曲のために使用されるツール」ではなく、ただ、音を発するための道具として捉えられている時だけは、面白いおもちゃだなあ、と思った。
シデロ・イホスが自然との関係が云々、という話は、どうでもいいや。

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