2007年6月30日土曜日

今日学んだこと

ボーナスは素晴らしい。
就職したほうが良い。
「sound, hearing, listening」の訳語は、ここでは「音、聴覚、聴取」。慣れてしまいそうだけど、文書の種類によって使い分けねばならない。
35くらいで生き死にが判別されてしまうらしい。
Audio Culture: Readings in Modern Musicはつまらないらしい。細かいところを詰めていこうとしているのだけど、僕が3年ほど前に見つけた時にはそれについて何か書いている人を見つけられなかった様々な研究たちがある種の常識として共有されている場所があるらしく、僕はそこには縁がないまま「美学芸術学概論」という名前で授業をする最後の世代になるのかもしれない、とふと思った。数年後のことは分かんねえけど。
このペースで読書会続けるのはきつい。もうちょっと進行させないと。
僕は、「現代音楽崇拝者」のようなディスコースに対するオルタナティヴを提供するような立ち居地を探るべきらしい。10秒単位で少しずつ矛盾する話が連続する中で、これは覚えとこうと思った。「現代音楽」は、もう過去の歴史的遺産としてまとめてしまったら良いはず。
それで見えてくるものは何かと考えるほうが面白いけど、それでどのようなアウトプットを出せるかということをもっと考える必要がある。が、さしあたりは「電子音響音楽」の歴史を日本語で読めるようにする必要があると思う。思うのだが。
「聴覚文化研究とは何か?」ということはよく分からんかった。必ずしも「芸術(カッコつきのげーじつ)」に対する関心からアプローチする人ばかりではない、と。

これこそただのメモだ。ま、いっか。

2007年6月28日木曜日

フルクサス

やけにシーンとしてたなあ。。。僕が疲れてたからか???
イベントの意味合いの説明と破壊音の現代音楽史的な意味については、スライドに書いてしまったほうがいいみたい。あれは音楽的素材の拡大に終止符をうとうとする身振りなのだ!とか。ハプニングとかドリップ・ミュージックのスコアとか、明確にメモしとくこと。でしゃんの話は、もういらんか。それより、スパイク・ジョーンズの映像が欲しいなあ。あれ見せてからフルクサスの楽器の破壊音を見せるのは楽しい。
中間レポート出さなかった学生にはペナルティを課したので覚えておくこと。
なんか体が疲れきってるなあ。さっきから、部屋の隅でヘーゲルとかスピノザの偉大さについて学生に語っている人がいるのだけど、詐欺師に見えてきた。
今日は静かやったなあ。。。あれ、なんだろ。疲れたあ。今日は帰って雑用。「引き継ぎ」された封筒の整理。

2007年6月27日水曜日

集団即興演奏

方針を変えて出席者の顔と名前を覚えようとして数週間たってわかったのだけど、現代音楽に興味かある人が来てるわけではないらしい。多分興味があるのは今日休んだ二人だけで、他は、印象派以前の絵画が好きらしい。
あと、今日は集団即興演奏の話をするはずだったのだけど「集団即興演奏の発生基盤は、時代の風潮としての政治への関心にあった」という前に、学生運動とかフリー・ジャズについて話さないといけない。音楽だけ聞いて面白い傾向ではないし、話を組み立て直さねば。
現代音楽という狭い領域の話をするつもりでいるけど、多少は不正確でも、フリー・ジャズとかの紹介ができんといかんのだなあ、と思ったのであった。で、結果的に、フリー・ジャズと集団即興演奏との違いの説明まで行かなくても、それはそれでオッケーなのだけど、どうやってそういうことができるプレゼン・ファイルを準備すれば良いんだ?

水曜日昼

非常勤講師控室に居場所がない。
いる人がみんな仲良く談笑しているという雰囲気もさりながら、それはまあ無視しても雑談に加わってもいいのだけど、物理的に座る椅子が足りてねえ。
なので、近くにカフェ的な場所もないので外にいるのだけど、あつい。なんとか居場所を見つけねば。

塩見みえこメディア・オペラ第三弾「フルクサス裁判」

なんか画像のアップロードがおかしい。

5/12/2001に国立国際美術館地下で行われたもの。
学生に貰った。
画像が小さいので注意。
第一弾はジーベックのか?じゃあ第二弾ってどれだろ?

ラ・モンテ・ヤングの《1960 #5》があった。
6:25-7:30あたり。
ばっかばかしー。

「アート・ワールド」に参入することによってのみ帯びることが可能な「アウラ」というものがあることを如実に示してくれている気がする。
とすると、ここでのパフォーマンスによって提示される「フルクサス」は、デュシャン以降の「アート」でしかなく、また、その「再演」は、『In the shadow of Motown』のような、「歴史構築、伝統構築」のためのもの、という意味合いしかないのではなかろうか、とも思う。

と言っても、「こういう音、パフォーマンス」を見る機会は「フルクサスのパフォーマンス、イベントの再演」しかないかもしれないので、そうとも限らんか、という気もしてきたけど。

物事は否定的に見るよりは肯定的に解釈したほうが良いと思うけど、そこで何かが抑圧されているならそれは意識しておかないといけないと思う。し、そこで何かが抑圧されているかどうかという判断は、解釈する側の解釈のスタンスによって変化するものであるなら、解釈者は自らの姿勢の構造を意識しておかなければいけない、とも思う。
という覚書。




..《コンポジション1960 第五番》(1960)
1.
「一匹(あるいは任意の数の)蝶を演奏会場に放ちなさい。
作品が終わる時、蝶が外に飛んで行けるようにしておきなさい。
作品はどのような長さでも良いが、もし無限に時間が使えるなら、蝶が放たれる前にドアと窓を開けておき、蝶が出て行った時に作品が終わったと考えることも可能である。」

2.
ラ・モンテ・ヤングの言葉
「…私は蝶が音を発していると確かに感じる。蝶は羽ばたくことによってだけではなく、身体が機能することによって音を発しているのだ。そして、音がどの程度大きいとか柔らかいとかを、音が音楽の領域に導入される前に決めようとするのでない限り、バタフライ・ピースはファイア・ピースと同じくらいに音楽なのだ、と。・・・誰か、あるいは何かが音を聴く必要があるべきだということは、自分には全く必要でないように思えるし、音は音自身のために存在するだけで十分だ。…」

YUKIO FUJIMOTO - HERE & THERE

藤本由紀夫のDVDをもっかい見た。全て見たら1時間強。
12/23/2005の美術館の遠足9/10のために制作されたDVD

そこで発生する音そのものが面白いということはあまりなく、むしろ、そこで音が発生していることに気づかせるので、もしくは音が発生していることに気づくことは面白いことを教えてくれるので、面白い。
結果的に、聴き出される音が面白い、という判断につながるんだと思う。
というまとめにしておこう。

どのような作品が収録されているかはライナーノート(?)に書いてある。

1.Ears of the rooftop (1990) 6'00
椅子に坐って、耳に雨樋のようなパイプをあてるインスタレーション。

2.Stars (1992) 4'06
一音だけ音を出すオルゴールユニットが三つ取り付けられた細長い箱が18個、部屋の中に配置され、合計54個のオルゴールが響きあう。

3.Room (Moshoan) (2000) 4'29
後楽園の茶室の天井裏や床下に電子キーボードを設置し、7種類の和音が常に再生されている、というインスタレーション。

4.Cosmos (Black) (1998) 5'15
試験管に正多面体のサイコロを入れて、試験管を回転させて音を発生させるオブジェ。

5.Alphabet (1983-2005) 9'38
映像作家とのコラボレーション。
AからZまで、それぞれの頭文字の言葉と映像が現れる。1983年の映像のリメイク。

6.Sugar 1995-2002 (2002) 7'55
角砂糖をパスタジャーに入れて、モーターで一分間に一回転させ、展示するたびにまわし続けるもの。
1995年にまわし始め、2001年にヴェニス・ビエンナーレで半年間廻し続けられた後の状態までの記録。けっこう粉々になるみたい。
回転速度からして、映像の再生速度は早められている様子。

7.Broom (Ohara) (2004) 20'34
映像作品。「雷」を引き出す行為が行われているらしいけど。
行為(歩く、とか)のスロー・モーションな映像とか。どうやら「工芸館」という建物から音を引き出す(歩いて足を床に当てることによって)行為だったみたい。
河井寛次郎の陶芸作品(灰皿?)の中にオルゴールを載せる(オルゴールは動く)、床にビー玉を転がす、皿の上でビー玉を転がす、等々。

8.Animated one minute (1981) 2'03
置時計とストップウォッチ。
置時計は止まっていて、ストップウォッチはリアルタイムで動いているらしいが、数秒に一コマ単位で映像を再生されるので、置時計は、スムーズに秒針が進んでいくのに、ストップウォッチは、やたらめったら速い速度で秒針が動いているように見える、という作品。
「時間とその記録」ということで考えれば良いのだろうけど、あんまし興味がない。サイレント・フィルム。

2007年6月26日火曜日

FREESPOT

FREESPOT: "シアトルズベストコーヒー 茨木ビブレ店":この土曜日にDVCがあれば好都合、ぐっふぉーみーなこともフォーゲットして(西宮市大谷記念みゅーじあむに藤本由紀夫を見に行くのだから)、やっとまえなおにDVCを返し、数ヶ月ぶりにランチを外食した後、久しぶりにかふぇでかふぃーを飲みながらインターネットにつなげてうぇぶをサーフィンしてるのだけど、じゃぱんのかふぃーはエクスペンシヴだなあ、と思った。
この姿勢で、二時間ほどでThe Audible PastのHello!のところのメモを作れるだろうか。
ルー語ってディフィカルトだなあ、と思った。
ちょいちょいと真似できるわけじゃないみたい。してどうなるもんでもないけど。


KQED Arts: Profile - Pauline Oliverosポーリーン・オリヴェロスは、もう75歳らしい。"Sound is a broader material than tone."らしい。

2007年6月25日月曜日

ケージと現代音楽小史

ケージの話がどんどん長くなってくると同時に、幾つかのあらもみえて来た。また作り直す気力は、いつ出せばいいんだ?
現代音楽小史をふたこまで語る、という計画をたてたのだけど、無理そう。もっと削ってポイントを絞らねば。そして、飛ばしながら、質問しながら説明すると、僕は雑談に走り始める。きいつけんと。

パオロ・マッツァリーノ『反社会学の不埒な研究報告』

反社会学の不埒な研究報告
パオロ・マッツァリーノ
4576051717
面白かった。

2007年6月24日日曜日

リアボックス

リアボックスを付けたのでスーパーでの買い物が楽になる。所帯染みてきた気がするぞ。















顔晴は「がんば」と読むらしいけど、これがどの程度流通している言葉なのかは知らない。

2007年6月23日土曜日

Jonathan Sterne

sterneworks:このチェックをこの週末にしつつ、その他のこともできるのだろうか。


destroying the rock guitar hegemony
Jonathan Sterneのlo-boyというバンドのページ。ベースばっかの音。


今の所属は「Department of Art History and Communication Studies, McGill University」らしく、カナダの授業のシラバスが、なんともあめりかんなリーダー文化らしいシラバスで「懐かしい」。今、MP3というフォーマットに関する本を書いているらしい。


welcome to notations21:ケージ以後のNotations

2007年6月21日木曜日

実験音楽

狭義の実験音楽について、ジョン・ケージの言葉を使わずに、ポイントをおさえておーまかに語ることはなっかなか難しい。
現代音楽好きらしいごくごく小数がすごい熱心にきいてくれてるけど、レポートは何人分になるんだろう。こわ。
ウィリアムズ・ミックスのところはとばさないと時間が足りない。
ウォーター・ウォークのスライドを間違えてる。これもテルミンの発明年と同じように、たんなるケアレスミスなので、要注意。

今後の母校との付き合い方に関する対策:
色々してくれる人もいるだろうけど、僕も自分の身を守る必要があるので、今後はできるだけ何も頼まない方向で動くこと。
被害者面して自己正当化した甘ったれた眼を見せつけられるより、自分でやったほうがましだ。
でも、次にものを頼む必要があるのは来年度になるはずだけど。


98?人中、5人に、メールを送れていなかったことが判明した。
BCCにアドレスを追加するのって機械的な作業なので、なぜ、こうなったのかさっぱり理由が分からない。
再発防止策を考えないといけない。


正確ではないけど「ふつーの音楽の場合、作曲家は建築物のように音楽を作る(「建築は凍れる音楽である」)けど、実験音楽の作曲家は、音としての水を噴出させる噴水の設計図を作るのだ」という比喩を試してみること。
分かりやすいかな?


一日たつと落ち着くのだけど、ガキの相手をする時間がないというのは情けない話だけど、ないものはないので仕方ない。
のだけど、こういうことは二年前にも考えていたなあ、と思った。なんでかな。

授業前

今からジョン・ケージの話しないといけないのに、むっかむかしてきた。
彼もかーいそーだけど、僕もかーいそーではなかろうか。


これは、君の事ではないし君たちに言ったあの顔の見えない誰かのことではない。

被害者意識

を剥き出しにして自己正当化している人間とは、会話ができない。
言い分の一部は認めつつ一部の間違いは指摘する、というのができない。もう結論が出てるらしいので。
なめられてるだけかもしれないけど、あんまり非現実的なことだけを信じてても仕方ないと思う。
その前に、研究職、教育職にとって、会話ができないというのは致命的ではないかと思う。
よく考えたら、叩いてあげられほど時間を共有しないので、できることは遠ざけるくらいのことかもしれん。
なんにしろうっとーしーなあ。

フルクサス

フルクサスについて話すために、ちょっとだけ、50年代~60年代の時代背景的なことを話してみたのだけど、全く共通理解がなかったので、そこから始めなければいけないらしい。
のだけど、マルコムXという名前を聞いたこともないし、キング牧師のこともうっすらとしか知らないらしいので、困った。時代背景の話とか、ほとんどしてこなかったのでなかなか難しいもんだけど、時代背景の話ができない人文学に存在意義はないと思うので、なんとかせねば、と思ったのであった。
じゃないと「集団即興演奏」のことなんか何も分からん。
ちゃんちゃん。

2007年6月19日火曜日

Wild Style

Wild Style
英語字幕がないとほとんど分からなくなってる。かつては分かってた、というのはかなり大きいけど、悲しい。

衰退した僕の英語力によると、これはどうやら、いわゆるグラフィティを描いてたヒスパニックの男と誰かのロマンスなお話だったらしい。あふりかんあめりかんは脇役。
1982年のfilmらしい。25年前。ファッションも音楽もふっるー。
ぼんやりしたバックトラック(ほとんど、ブレイクビーツを反復して時々スクラッチする、ということしかしないDJ)と(あまり抑揚はない)ラップ。ぷりみちヴにしか見えないブレイクダンス。Rockitが1984だから、それよりも前。こーゆーのをオールド・スクールというのだろうか。

でも、全く「物語」っぽくはなくて、ラップでミュージカルのようなものを作りたかったのかな?とも思った。けど、別に(ウェスト・サイド・ストーリーみたいな)悲恋のお話ではないし、普通にセリフを話している部分のほうが多いけど。いずれにせよ、英語のラップはさっぱり分からない。
ブロンド白人女性がある種の「他者」として機能する、という物語構造はなんだかよく分かるぞ。
53:00くらいの、グラフィティじゃなくてpaintingをスプレーで描こうとするあたりは、クリシェなんだろうけど面白い。
ぱーちーの様子がたくさん出てきてて、ラップとブレイクダンスしてる風景がたくさん出てくるので、「当時の雰囲気」がよく分かる。

グラフィティは「美術史」の枠組みに収められていないけど、これは「視覚文化研究」の中に収められているのだろうか?おさめられていなけりゃ「ヒップホップという文化」は視覚的な学的対象には組み込まれていない、ということなんだろうけど、よく知らない。
なんにしろ「歴史の構築」というものは、うさんくさいもんだなあ、とは思った。それを有難がるのは気持ちが悪い。

テルミンの発明年度

を間違えて教えていたことに気づいた。恥ずかしい。
1924年というのは、ドイツで特許を取得した年だった…。
で、幾つか手持ちの文献を見てみたところ、記述が一定していない。
Wikipediaでは1919年となっているけれど、これはソ連で、テルミン(の前身)を公開演奏した年らしい。
便利なElectronic Musical Instrument 1870 - 1990The Thereminが1917年となっているのは、ソ連でテルミン(人)が最初に機械を作った年らしい。
電子音響音楽に関するトピックに関する基本文献として使っているJoel Chadabe, Electric Sound: The Past and Promise of Electronic Musicには発明年度の記述がない。
二番目の基本文献として使っているThomas B. Holmes, Electronic and Experimental Music: Pioneers in Technology and Composition (Media and Popularculture)には"around 1920"とある…。
どうやら「発明された年」という言い方だと一義的に決定できないみたい。だけど、いずれにせよ、勉強しなおさないといけない。なんで1924年にしてたんだ???

2007年6月18日月曜日

シデロ・イホス

「07年06月15日22時25分-NHK教育(大阪)-[S]芸術劇場 特集・美術と音楽の融合・」
NHKで放送されたもの。7:40 - 19:40くらい。必要な部分だけカットして、このファイルのほかの部分は捨てておくこと。
茅ヶ崎市美術館で行われている展覧会を取材したものらしい。
「ΣΙΔΕΡΟ ΗΧΟΣは茅ヶ崎・緑が浜にアトリエを構え制作活動をおこなっている原田和男(はらだ・かずお 1951- )がてがける音響彫刻の総称です。…」
初めて聞いた名前だったのでチェックしたのであった。なので探偵ナイトスクープを見れなかった。

「音響彫刻」という名付け親は一柳さんらしいけど、そのように言ってしまうことは不正確に過ぎると思う。「音響彫刻」という言葉のほーじゅんなかのーせーが、抑圧されすぎてしまうと思う。

それはともかく「創作楽器」で良いじゃないか、と思うのだけど、これをたんなる「楽器」として捉えるなら、まさに「創作楽器のジレンマ」を体現するような事例の気がする。
おそらく「創作楽器」の一番の意義は「新しい音色」を現実化すること、なので、(理念的に)あらゆる人間が使用することのできる汎用性のあるツールとして使われるなら、その「創作楽器」としての意義は後景に退き、「楽曲」としての意義が前面に出されざるを得ないので、その楽曲が「創作楽器の魅力」に依存するなら、それは「イージー」なものに過ぎないと思う。

創作楽器の意義は、それが、「新しい音をもたらすこと」もしくは「新しい音を発見することは面白いことであることを教えてくれること」だと思う。
が、創作楽器を「他の目的」に使う時も、その元々の「意義」は残っていて、「他の目的」と元々の意義が「あいまってさらにすばらしい効果をもたらす」と考えてることは、たんに「いかがわしい」と思う。

「楽曲のために使用されるツール」ではなく、ただ、音を発するための道具として捉えられている時だけは、面白いおもちゃだなあ、と思った。
シデロ・イホスが自然との関係が云々、という話は、どうでもいいや。

柊あおい『耳をすませば』

柊あおい『耳をすませば』
マンガは映画と全然違った。すげえなあ、と思った。







行けると良いなあ。

2007年6月17日日曜日

ピーク

反省点は多々あれど、とにかく終わった。


初めて「口が話す」という経験をした。
自分が何か話しているのを聞きながら、次に話すべきことを考えていた。そりゃ「中川先生は混乱している」という感想をもらうはず。
通信の生徒の「熱意」は予想以上で、けっこう感動した。あんに板書を書き写すとは創造していなかったし、仕事を休んで来てる人もいるので大変申し訳ないとは思う。面白い経験だった。
反省はするけど、自省にやられないための言い訳としては、「残念ながら"芸術学"は、十分パッケージ化されている領域ではない」というものを使うこと。でも、他日を期して、パッケージ化するようがんばるぞう。
ただ、過ぎると、美術史学を勉強しようという気力が目に見えて薄れていく。
関大6の後期はプランダーフォニックス関連のことをひたすら続けようかなあ、と思ったけど、やっぱり来年度の前期は「美学芸術学概論」をしようかなあ、と思った。
でも、今後もこういう内容の授業は可能なのだろうか。ヴェルフリンの五つの反律概念の話を聞き流さず、全てノートされるとは、どうしたものか…。

「岡本くん」はちょいとした苦学生で、夏からフランスに行くらしい。ジョルダーノ・ブルーノって誰や?
終わってからprinzでコーヒー飲んだのだけど、お店の人が僕の顔を覚えていて、びっくりした。
終わってからかりおんでぼーっとしたのだけど(一時間以上ぼーっとできたのは二ヶ月ぶりではなかろうかとも思う)、くまは「みゅーじしゃん」になるらしい。すんばらしい。


1985年に製作されたコンピューターアニメーションのムービー - GIGAZINEこれ面白い。

ピーク

今日が前期の忙しさのピーク。
早過ぎた。


藝術学関連学会連合 第2回公開シンポジウムの雑感
:弁当、美味しかった。
:僕は京近美でバイト(新聞の切り抜きとか本の整理)をしていたことがあるので、事務の方が覚えていてくれたのだけど、事務の方も、胃を切り取ったので体のバランスが少し奇妙になっているらしい。
:そして今井さんが復活してた。売店にいるらしい。
:著作権という法律関連の言説と美学的な言説が、たんに二つのものとして流通している、という話だけがよく分かった。が、法関連の話を、本当に具体的に把握している人がどれだけいたんだろう?二つの言説のよじれ云々の話の前に、オリジナリティと法関連の話がごっちゃになってしまうのではないだろうか、と思うのだけど、それは僕が知らないだけなのだろうか?
:シンポジウムの内容のせいではなく、日曜の準備で、眠くて眠くて…。
:僕は森くんの彼女(茨木市在住)が学部生の時に、何か良いことをしたらしい(が、もちろん覚えていない)。まず今後二度と会わないだろうと思う人と、いつどこで再会するか分からないので、情けは人のためならずという言葉を肝に銘じて今後も精進していこうと思った。
:ますださんが僕のことを覚えていたのにびっくり。8年くらい前に一回会話したことしかない気がするのだけど。
:みなみださんという人は、そこらの酒場にいるようなおっちゃんにしか見えないのだけど、面白かった。こういう研究とは無縁のところでおもしろがられていくのは、良いことなのだろうか?
:簡単にJPOPには興味がない、と言うと、高踏的な言説に聞こえてしまうらしいので注意。
:井手口くんは「おたく」らしい。
:兼子先生は、後から話をきいたのだけど、実は「著作権」の問題とはあんまし関係ないところで面白いと思う。
:余裕がない時に何かを吸収するのは難しい。
:プランダーフォニックス関連の話がない、というのは少し残念だったけど、問題構成上、必須のものではなかったのかも。関大6の後期のネタは、また別のところで集めること。
:ディープ・フォレスト事件等々、訴訟問題にまで至るのは90年代以降らしいけど、訴訟問題にまでは至らなかった事例(My Life in the Bush of Ghostsとか)は80年代以降あるはずなので、著作権関連の問題を、「デジタル」という枠組みに限定してはいけないと思う。

2007年6月15日金曜日

20070611 - 稲盛財団より2007京都賞受賞者の決定のプレスリリース(ピナ・バウシェ)

今年はピナ・バウシェらしい。昔、リゲティを見て感動したし、これ、見てえ。前に来日した時、見損ねたし。11/12(日)なのだけど、何かしてくれるんかな?

プレス・リリースとか、こういうことのために「あの手の」言葉が氾濫しているのだとしたら、それは心底馬鹿馬鹿しいと思う。
という意見を、負け惜しみじゃないものとして認めさせることができる人間になりたいもんだなあ、と思ったけど、僕は、今、喉が痛い。

2007年6月14日木曜日

行きの電車で傘を拾ってよかった。合羽もあるし。
クレーマー君は、ストーカー化されるのが怖いので、まずは自分の知的倫理に従って、(些少でも)間違いは正し、クレーマーじゃないなら顔出すように連絡し(出さなかったけど)、早めの対処が肝心と思ったので、まだ何も起きてないけどこういうことがあります、と事務に報告しておいた。

今日の発見:
最近は教職とるのに「介護実習」が必須らしい。
僕は立命館では31以上に見られてるらしい。
立命館は、いよいよ「あばんぎゃるどな音楽好き」な人ばっかになってきた気がする。一方、レポートは、いかんともしがたいものも多い。出てないけど出してるやつがけっこういる。実はダブのレポート書くらしい人のは楽しみだったりはする。でも、もう中間レポート課すなんてしねえぞ。

ジョン・ケージについて:
50年前後の変化以降、ケージの音楽制作理念が大きく変わって、1.器としての音楽作品と、2.偶然性の手法が生まれ、1.の代表が4'33"だ、という話に変えること。

2007年6月13日水曜日

フルクサス

フルクサスを芸術として紹介するコンテクスト作りからしないといけないらしい。やってみようとしたけど、けっこうきつい。
ぱっと見て分からなかったら、数分に一回は質問することにしたのに、寝てしまう。「ウッドストック」とか「ラブ&ピース」という言葉や、ルー・リードとかヴェルヴェットの説明からしないといけなくて、なかなかできないということは、それらが、僕にとってのイデオロギーなんだろう。
イベントの芸術的価値は、単純な行為に潜む身体経験の開示と、不可能な指示によって頭の中でそうした身体経験を想像させること、と解釈してみたけど、全くピンと来なかったらしい。オノ・ヨーコのワード・スコアの命令形にいらつくらしい。
授業(×講義)のことばっか考えてるなあ。あと一ヶ月切った。今週末がピーク。次は明日の立命館をどうしてやろう。ケージの回は、二回にすること。

河内国分

寝過ごしたんじゃなくて、間違えて急行に乗ってしまった。そういや、はやかった気もする。
まあ、寝ぼけてた。
間に合うだろうけど、少しせわしない。
昨日受領したレポートにうちのめされた数時間が睡眠にまわせていれば!
どうしてくれよう。

2007年6月11日月曜日

ジョン・ケージと癒しの音楽

これは、関大近くの、ライブハウスらしい。
ジョン・ケージの回は、さすがに、ほとんどメモを見なくていい。
けど、ゆっくり説明しないといけないので、絶対に二回かかる。立命館でも二回かけること。ミニマルのとこ削る?近大の学生にわりいことしたなあ。
癒しの音楽に関する音楽社会学の研究事例を紹介しているうちに、癒しの音楽、っつうか、癒しってそもそもなんや?という疑問が頭のなかをぐるぐる回り出して、中途半端なことになってしまった。美学的問題意識を避ける問題意識に飽き足らなくなってしまっているらしい。
とりあえず、この回はもう封印。人の顔と名前をくっつけていくこと。来週休講だけど、再来週どうしよう(ワールド・ミュージックの話をするつもりでいたので、それは封印したので、何も準備できていない)。
後期どうしよう。あの随筆集(日本の名随筆 (25))でも読もっかなー。
それとも、テーマ毎に幾つかの日本語文献読んだりしよっかな。でも、それ面白いかな。


カトラーの議論(『ファイル・アンダー・ポピュラー』所収の「音楽形式の必然性と選択」)は、1.民俗音楽 - 生体的記憶, 2.「クラシック」音楽 - 記譜, 3.ポピュラー音楽 - 録音 という三分類が明快で分かりやすいと思っていたけど、「音楽の生産 - 流通 - 消費」の局面の中で、基本的には「生産」の局面にしか言及していないので、注意。
カトラーの左翼的な視点(結局のところ、カトラーにとって「正しい」ポピュラー音楽=「録音」を通じた集団作業によって生産され、資本主義社会の外側に生み出される音楽 こそが標準だ、とするような、エリート主義的ポピュリズムの再生産とでも言えるような視点)は、歴史的記述とか、その「音楽のあり方」に関する分析のためのツールとしてはそんなに使えないけど、分析ツールの一つとしては使えるだろう、と思っていたけど、注意。
とすると、やっぱりアタリ『ノイズ』を参照しないといけないかな?音楽の生産-流通-受容の各局面における変化については、もっと明快に語られて然るべきだと思う。じゃないと、いつまでも、楽譜に基づく音楽からレコードに基づく音楽への変化がまるで「新しい事態」であるかのようだ。
うーむ。


メモ:カトラーのケージ相対化
"But if, suddenly, all sound is ``music," then by definition, there can be no such thing as sound that is not music. The word music becomes meaningless, or rather it means ``sound." But ``sound" already means that. And when the word ``music" has been long minted and nurtured to refer to a particular activity in respect of sound -- namely its conscious and deliberate organization within a definite aesthetic and tradition -- I can see no convincing argument at this late stage for throwing these useful limitations into the dustbin..." (Chris Cutler, ``Editorial Afterword," R[e-] Records Quarterly, Vol.2, No.3 (London:1988).)

Lander, Dan. "Introduction to Sound By Artists" (SoundCultureのwebsiteにある。たしかubu.comにもある。)
より
:僕はケージ信奉家ではないので、「アヴァンギャルド音楽の戦略」以外に、ケージのレトリック(もしくはtrope)も単純化してまとめておくこと。

脱走

17日が終了するまで体力の続く限りデスクトップに向かい続けなければいけないので夜中も活動していると、なにかごそごそ音がしているので、HDDがおかしくなったかな、と思ったら、左上、右上、左下の写真のようなことになっていた。ほっぺたがティッシュでいっぱいになってたけど吐き出させ方が分からんからそのまま戻した。
右下の写真のように、出てきたらしい。カゴから1mほど下のところに落ちたみたいだけど、ほっといたらカゴに戻っている、ということはありえないので、今後どうしたらいいものか。カゴ、買い直すか、蓋をなんとかするか。


とかしながら、僕は数年ぶりにベンヤミンを復習していて、数年ぶりに読むと色々分かり易くなっているのだけど、ベンヤミンは、記憶していた以上にマルクス主義者的だった。
そんで、解説の文章とか読んで思うのだけど、この手の「難しい文章」にいかほどの意味があるのだろう、と思ってしまうのは、非常勤してることの「弊害」なのかもしれない。でも、どうしても単純化しては語れない、難しく語らないと語れないことは絶対にあるけれど、簡単に語れば良いものを難しくしか語れていない「衒学」的な文章というものも、絶対にたくさんある。
自分が触れる(読む/書く)文章がどちらか、ということを判断する基準を獲得しなければならない。とりあえず、数年前に比べると、自分が書く一文は短くなったはず(昔は長かった)。

たぶん「自分が想定する読者層」をどこに設定するか、とかの問題になる気がする。「学的基準」とか「科学的基準」とか「人文科学的基準」とかいう言葉で枠組みを決定できるほど「学問」が固定されているとは思えないのだけど、どんなもんかな。自分をどういう世界の住人として設定するか、とかの問題なのかもしれんとも思うけど、まだ断言できん。
たぶん「純粋に研究に没頭する人文科学の世界」からは離れていきたいと思ってる気がするけど、でもよう分からん。アカデミズムの世界から出て行った場所に何かの”救い”があるとも思えないし、そんなごたく以前に、ちゃんと研究「できる」人になりたい。

最近の物欲

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つまり、デスクトップでもマウスを使わずにすませたい。で、number keyと方向キーは普通のが欲しい。
すると、これしか見当たらない。


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2007年6月10日日曜日

我が家に電話がやって来た。

なんと、USの時の携帯電話が、まだ捨てられずに何かの袋に入っていた。

ここは物を捨てるのは日を選ばなくて良いので楽なので、捨てた。












そして、10年以上ぶりに新しい電話を買った。子機だけ、のやつ。ここ数ヶ月以上電話で数分以上会話してない気がするけど。固定電話では会話してない。Skypeで話す時もあるけど、Skypeは「電話」という感じはしない。
次の日曜日の準備が終わらない。1・2だけじゃなく、3・4の準備もしないといけない。


7年以上ぶりにフリード「芸術と客体性」を読み返して、分かりやすくなってた。
修論書く時に読んだ時は、なんて難しい文章なんだろう、と思ったのだけど、今は、「なんで今僕はこれをよまなあかんねん」という思いを押さえつけねば、と思ってる早朝6時過ぎ。


これに沿ってするのか…。これ、明らかに間違えてるじゃないか。
そういや、レジュメは書きます、って言ってたじゃないか。
人を呪わば穴二つ。
寝よ。
なんとかなるといいなあ。

集合住宅における子供の遊び方

こんな感じになるらしい。公園もあるけど、一階まで降りるのが面倒くせえと思うんだろうと思う。

2007年6月7日木曜日

立命館の喫煙場

喫煙場が減ってる。
先週と同じくらいの人数だった。激減してなくてほっとしたけど、芸人根性と人気商売意識は、あまり抱えこんではいけない、と思った。来週まで研究できんけど。でも、授業の後に懐いてこられるのは楽しいもんだ。
立命館って不思議なとこで、明らかにマンモス校で経営先行っぽいしぶい大学なのだけど、学生と教員が、けっこう仲良しっぽい。喫煙場でも教員と学生がつるんでる。

ま、それはそれとして、この忙しいのに、風邪ひいた気がする。授業開始時に後頭部に汗がでてきて、今は、肌寒い。半袖デビューしたからだろうか。今日の「新しい楽器」の話は、慣れてきてた分でよかった。でも、モーグ博士の笑顔が不可解で不可解でたまらなかったけど。
帰って、わざわざ京大に行ったのにかたづかなかった雑用せねば。

ざっつよー

プリンタの不具合で終わらんかった。
今日の立命は激減していると思うので、こわいなー。

2007年6月6日水曜日

let'snote

先週熟慮の末に買ったレッツノートは、ホイールパッドのホイールがきかず、しかもタッチパッドでクリックできなかったので、今日返品したのであった。
で、ISOファイルを快適に再生できるらしいPEN1.4以上で軽いレッツノートを探したところ、条件にあてはまるのが、二倍以上の値段のVISTA搭載のしかなくて、他の機種なら安くはなるけど、やっぱし10万円近辺になるので(IBMで安いのがあったけど、操作が指一本で済まないので避けた)、大幅に予算を超えるし、なので、結局、先週と同じレベルの処分特価値引品にして、なので、結局、熟慮の末に、同じもんを同じ値段で買った。同じ、パソコンにすごく詳しい好感のもてる店員さんに相談して、先週、かなり安くしてもらったメモリもつけた。何が違うかというと、納得の在り方が違う。ISOファイル再生には非力らしいので、僕は、DVDディスクを持ち歩く人になるのだ。
出世したら新品買うぞ!でもVISTAは嫌だなあ。

複雑なことと単純なこと

どうしても解きガタイ複雑なことは実は単純なことだ、と説明するのは、単に嘘なので、複雑なことを「単純化」する時は気をつけねばいけない。
あと、聞き手(学生)の種類を考えないといけない(偏差値はそんなに関係ない)。
ということにやっと気付いたけど、さしあたりの対策が思いつかない。
とりあえず、ジョン・ケージの回は映像資料を見せるだけにしたけど、どーも。
とか思ってるので、パノフスキーのジンブンガクに関するジョーネツ溢れる文章が面白い。
学問と教育ってなんや。

今からソフマップに初期不良だった中古ラップトップを返しにいくのだ。

2007年6月4日月曜日

関大の図書館

写真は走る阪急電車から外を撮影したもの。何にも分からん。
関大の図書館、すげえ。帰るの遅くなった。書庫に何がどの程度あんのか、まだ知らないけど。これでバイクで行ければ(関大は行けない)。

5限で落ち着きのなかったガキは、注意したら静かに寝てたけど、でも怒ってはないから甘いのかもしれんとも思った。
二回生なら、まず、参照文献の書き方がある、ということを知らないらしい。
京市芸に続いて、関大6も、後期は大きく方向転換することにした。けど、どうするかは未定。出席とったから何か書いてくれてるだろけど、まだ読んでない。
明日京大に行けるのかな?行ければ、雑用と図書館。美術館という制度をめぐる歴史はなんとかなりそうなので、複製技術に関して色々復習すること。


今日(火曜)、京大に行く必要はないことに気づいた。
木曜でいいんだ。


1/87の競争に負けた。負け惜しみじゃなく、これは、奨学金返済延期書類作成のために負けた証拠が欲しかったから、求められている人材とかなり違う分野だったけど応募したので、まあ良いのだ。
負けたのは二回目で、3,4年前の一回目は、1/2の競争に負けた。一回目はたぶん「当て馬」だったのだけど(「牽制」するほどの「当て馬」でもなかったけど)、その時、初めて「当て馬」という言葉を実感した。たぶん、これ、一生言うんだろうなあ。
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あて‐うま【当て馬】_牝馬の発情を検査し、あるいは促すための牡馬。_転じて、優勢な者を牽制するために、仮に推し立てた者。「―候補」_
―にする○当て馬にする自己の野心を隠しておき、表面的には他の人をその位置に推す。

0618は休講

0618の関大は休講。
ちゃんと届け出した。
つまり、関大でもジョン・ケージの話は一回で終わること。関大は後期もあるから、二回かけてもいいか。

2007年6月3日日曜日

翻訳とは

翻訳とは「簡潔で分かりやすい文章」を書き、できる限り「自分を消去すること」らしい。「誰にでも分かる文章」を書くことらしい。
By 限りなく透明に近いChiBiTa
(ただし、このChiBiTaは、この画像のチビタとは関係がない。たぶん全く関係がない。)


CiteULike: katsushi さんのライブラリこれ、人文学ではあんまり使えないけど、便利。使える時代になると良いのに。

2007年6月2日土曜日

四条


これは四条京阪駅の壁に描かれていた絵。
どんな顔したらいーのだろー。
再来週、七時とかに起きることはできるのだろか。


あんまし顔を作ることができなかったので、けっこう「素」だったのだけど、あれで良かったに違いない!
ちゃらんぽらんな人間がほんとーにちゃらんぽらんなことをしてはいけないと思うのだけど、僕はもっと「しっかりした人」だったというのは確かに本当なのに、僕の身には一体何がおきたのだろうか?けっこうたくさんの理由が思い浮かぶ。


「研究発表」なんだからなあ。怒らないと駄目なんだと思うけど、遅刻した身としては怒りづらくて、それは保身ではないつもりなのだけど、とりあえず、僕は、今年度中に、電子音楽とライヴ・エレクトロニクスに関する論文(ライヴ・エレクトロニクス批判のメカニズムに関する論文)を仕上げて、自然音を使った「音楽」に関する論文に着手したい。自分がいられる場所を探さないといけない。


ひゃくまんべんの「すらんばー」とやらはけっこう美味しい。お腹が空いてる時はものたりないけど。
結局いくらになったんだろう。
「おたく」(的な人間)とか、よく分からないひねくれ方をしている人間を見て不思議だった。とりあえず、後期木曜日一限目は、色々好きなことを試みておっけーらしい。あんなにふにゃふにゃに柔軟な人なのに、と思った。


ざつよー。なんかうまい言い方ないかなあ。That's you! これは却下。


このブログはひたすら内輪にしか向いていないのだけど、いつか反転することはあるのか?と、一瞬考えこむふりでもしようかと思ったけどやめて、帰宅してからの雑用も終わったので、寝る。

やってしまった

今日は11時から雑用でその前に図書館に行かないといけなかったのだけど、起きたら11時過ぎてた。
再来週まですごく忙しいので昨日も三時か四時まで眠れなかったのだけど、目覚まし止めた記憶さえない。
再来週は、七時前に起きないといけないのだ。
podcastingを聴いて思うに、ネイティブの速度の英語がかなり分からなくなってる。
いろいろどうしよう。

まず、がっこに着いたらどんな顔しよう。

2007年6月1日金曜日

Windows Live Writer

これ、使えるんかな?英語版しかないのか?どうやって画像入れるんだ? 入れられんのか?



マイクロソフトのブログ投稿ツール「Windows Live Writer」 - GIGAZINE
ブログ投稿ツールなのだけど、画像スペースを確保するのが面倒なので、使わない気がする。有料サーバースペース持ってるから使えるけど、せっかくBloggerのスペースがあるのに、と思うので。
でも、Microsoft製品とは思えないくらい使いやすいソフトな気もする。

Yasunao Tone

0965557081Yasunao Tone: Noise Media Language
Yasunao Tone Kim Cascone
Errnat Bodies Pr 2007-05-30

発売前に注文したのに、amazon.co.jpに入荷していないらしい。なんでやねん。

Flickr - slide - pon (最近の200枚)

macromill