2007年10月10日水曜日

英語

英語を読めるようになることに何もインセンティブがない人間に英語を読ませるのは本当に疲れる。
こんなもの、英語に限らず、「勉強」に対するインセンティブがどうこうの話なのだけど、「大学教員」の半数以上はこういうこと考えるわけやな。
ってことは、「院生」ってだけで付き合いやすくなるから、「院生」の先行きまで「考えなくても無理はない」というのが「常識」になるのも「無理はない」。
まあどうでもいいか。

環状線

すぐに再開した。
電車でたつのは疲れる。
そういや、水曜の近大は、控室がものすごい賑やかな日だ。なんであの人らは仲良くて僕は馴染めなかったかの理由の一つは、僕が前期の昼休み中はずっと資料コピーしてたからで、教科書なんかなかったからだけど、わかりやすい大学内格差も見えて、でもその団欒にはどっかの芸能博物館の常勤もいたので、必ずしもそうではないのかもしれないが、僕がその団欒(らしきもの)に加わっていないことにはかわりない。

京橋止まり

信号機故障で京橋で降ろされた。
どうしたらいいねん。
寺田町なら鶴橋で止まったらいいのに。

2007年10月8日月曜日

1000円

ANA778便は、一時間半遅れるので搭乗口が変わるかもしれんらしい。
1000円くれたけどもう搭乗口に入ってて出ていく気はしないからこの中で使いたいのだけど、だいたい売り切れてる。
ねむい。


内田樹の研究室: "「格差社会の本質と構造についての洞察は、格差社会の最底辺にいる人間がもっとも深い」というロジック"
"あるゲームでつねに勝つ人間とつねに負ける人間がいた場合に、そのゲームが「アンフェアなルール」で行われていると推論することは間違っていない。
しかし、つねに負け続けている人間はつねに勝ち続けている人間よりもゲームのルールを熟知していると推論することは間違っている。"
"「被害者は全能である」というのは今私たちの社会にひろく流布している一つの「ドクサ」である。
それゆえ誰もが「被害者」の立場を先取しようと、必死に競い合っている。
だが、被害者の立場からの出来事の記述は、そうでない人間の記述よりも正確であり、被害者の立場から提示される解決策は、そうでない人間が提示する解決策より合理的であるという判断には論理的には根拠がない。"


「引継ぎ」されずに引き継いだ場合、引継ぎされなかったことが明らかになった時に担当者だった人間が貧乏くじをひくらしい。その前の担当者は「引き継いだ」と言えば良いらしい。僕は面と向かって言われた。
中学生じゃないのだから「引継ぎ」されてれば知ってるようなことなら僕も理解してると思うけど、「引継ぎされてれば/引継ぎされてなければ」という風に想像するのは面倒らしいので、そういうことを期待するのは難しいらしい。
はらたつけど色々もうすぐ終わるはず(強い希望と願望)。

1900

1735発のはずが1900発になってた。
あめりかとか日本じゃなくて、「国内線」とは遅れるものなのかもしれないと思った。
なんかものすごいしんどい。

一回出て、ラップトップ使えるとこで時間潰すか。
ねむ。


いつか行けることもあるかもしれないけどたぶんないんだろう。
バーニングマン - Wikipedia
BS-i 灼熱のサバイバルアート~砂漠を埋めた5万人 バーニングマ�
マガリスギ.net

北海丼

せめて帰る前には北海道らしいものを、と思った。
別に北海道じゃなくても食べられるし、これは別に北海道特有のものじゃないかもしれないという疑問は気付かないふりをする。

今回の北海道のまとめ:
僕の特徴は、嘘をつく、聞き流す、ぽんぽん言う、らしい(悪い意味ではないけど、初対面の人には誤解されるらしい)。
非常勤の時期が最後のインプットの時期らしい。
しばらく美学会からは距離をとること。なんについてでも否定的な感情は育てないこと。
「アカデミックな学問」には貢献しなくていいので、学生に通じる言葉遣いを作りあげていくこと。
なので「芸術学」なる名前の「授業」なるものについて考えること。
とはいえ、研究もはじめていくこと。まずは十二月のために四年前の復習と、電子音楽とライヴ・エレクトロニクス。
やたらむやみに尊敬するつもりはないけど、立派な肩書の方々を馬鹿にしないこと。
色々思うけど、明日は休むこと。

みやのもり1−10



ヤノベケンジ展を見た。札幌駅から少し地下鉄にのって、バスに乗って、結婚式場も兼ねてるような小さな場所。
「こういう」営為はなんだ?

2007年10月7日日曜日

ソーラン節

すげー。

昼ご飯

はぐれた。

2007年10月6日土曜日

佐野もとはる的

これは北海道立近代美術館。
さのもとはるのように終わりは始まりと思う気にはならないし、終わりの始まりとも思わないし、全国大会自体は初日なのだけど、この学会に熱意を傾けている十年後の自分は想像できない。
成長したからか、学会か学会を取り巻く状況が変化したからかは知らないけど、自分が何かをする時のベースにできるかどうかはあやしい。
とは思えど、それはたんに、僕が「美学」研究の徒ではないということかもしれない。
とは思えど、制度的にはそうなので、何とか使い方は考えねばならない。

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